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談山の名は中大兄皇子と藤原鎌足が大化改新決行の密議を談(かたら)ったという伝承に起因する。
談山神社は明日香村、石舞台にも近い。現に私は南阪奈道路の葛城インターから談山神社へ来る途中、
甘樫丘のすぐ南を通り、石舞台を横目で見ながらやってきた。飛鳥板蓋宮との位置関係を鑑みれば、
密談にはうってつけの場所といえるだろう。
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元来、妙薬寺と称された多武峰寺が、明治時代初めの廃仏毀釈で藤原鎌足の廟所を本殿とした神社に衣替えし、寺の建物は
権殿、祓殿などと名をかえる。が、檜皮葺きの十三重塔の名称は苦しまぎれに神廟と呼ばれた後、結局、十三重塔に落ち着いた。
十一面観音で有名な聖林寺は多武峰寺の末寺(両寺間の距離は5,3km)で、多武峰寺僧徒と興福寺僧徒のいわば南北戦争に
より何度も焼き討ちにあった。
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奈良時代以降も藤原氏が権勢をほしいままにするなかで、同じ氏寺同士の多武峰寺と興福寺が
争いを続けたのは、巷間伝わるところの近親憎悪なのかもしれない。
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檜皮葺きの神廟と十三重塔
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十三重塔そばの燃えるように赤いもみじは盛りを過ぎていた。
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談山神社境内でもっとも赤いのはこれでした
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藤原鎌足の墓所(古墳=御破裂山・標高607m)まで徒歩20分。
御破裂山の名の由来は、平安時代上期(898)から江戸時代初期(1607)の約700年のあいだ、
天下異変時、藤原鎌足の墓所が35回にわたって大鳴動(山鳴り)をおこしたとされることによる。
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