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2013年6月18日正午前〜午後2時ごろ 室生寺 上ノ橋
ここに立って周囲の景観をながめると、室生寺が「八葉の蓮華」の花芯にたとえられる意味がわかるような気がする。
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室生寺拝観はすでにここから始まっている。
正面は室生山から下りてくる深い森、橋下は室生川、両サイドは土門拳ゆかりの橋本屋。
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「女人高野室生寺」の石柱
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鎧坂のごつごつした石段をゆっくり上る。上半分しか見えていなかった金堂が徐々に姿をあらわす。
室生寺に行く楽しみのひとつは金堂を鎧坂から仰ぎみることにある。
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時おりしも正午の読経がはじまったばかりだった。
般若心経につづいて観音経。森閑たる室生寺に僧の声が響き、木々にしみ入る。
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金堂の回廊は石崖の上に造られ、能舞台、あるいは歌舞伎舞台ふう。金堂の色も歳月を経て渋い。
深い森につつまれた絶好のロケーション。そうした佇まいに魅了される。
↑二枚の読経の画像を較べてわかるのは、僧がまったく同じ姿勢であることだ。不動という言葉はもしや。
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堂内には貞観彫刻仏(平安初期)の釈迦如来立像、薬師如来立像、十一面観音立像や
薬師如来の眷属・十二神将立像などが安置されている。
なかでも回廊からみる等身大の十一面観音は厳かで優美であるのに、妙に懐かしく身近に感じられる。
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天神社拝殿は昨年建てかわった。
金堂には室生寺に50年間勤めていたという女性がいた。年齢は76歳、老女というには若々しく、言葉も歯切れがよく、
橋本旅館の女将が亡くなったこと、土門拳の思い出、室生寺との関わり、自身の身の上を昨日のことのように話し出した。
この春、室生寺を退職したけれど、いまも時々声がかかり、空いていれば手伝いにくるという。声のかかるうちが花と
笑っていた。昨年6月16日、ハデに転んで頭と腕を負傷した。それでも二日後には勤めを果たしに金堂へ来ました。
この中の仏さまに守られていると思います。女性の右腕にやけどのあとのような複数の傷跡が残っていた。
夫は72歳で死にました。兄姉もなぜか72歳でした。弟から「姉ちゃん、相談相手がいなくなるから長生きせんとあかんよ」と
言われます。60代はいちばんいい年代です、ご夫婦仲良くしてくださいヨ。いつかまたお会いできればいいですね。
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正面からみても美しいが、側面からみると楚々として気品にみがきがかかったようにみえる。
金堂の美しさをひとことでいえば、品のよさであると思う。柿葺(こけらぶき)は金堂に適している。
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須弥壇の上、厨子内に弥勒菩薩立像、右の厨子内に釈迦如来座像が安置されている。
入母屋造り柿葺の弥勒堂は金堂に較べるとこぢんまりしていて、大きめの庵のおもむき。そこがいいのかもしれない。
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中央奥にみえるのが弥勒菩薩。
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灌頂堂(かんじょうどう)ともいいい、室生寺最大の堂で屋根は檜皮葺き。堂内の如意輪観音がすばらしい。
本堂の如意輪観音は一木造りで、観心寺(大阪府河内長野市)と神呪寺(兵庫県西宮市)の如意輪観音が一木造り。
本堂におられた方(画像中央より青の上衣の方)が私たちに声をかけてくださった。(家内は右端を歩いている)
如意輪観音と対座して説明を受けたが、如意輪観音は一度も「お身ぬぐい」されていないそうだ。如意輪観音の六臂の
説明も懇切丁寧で、耳をかたむけた。わたしはこの方の雰囲気と話し方に癒やされた。
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本堂の西にある五重塔への石段は鎧坂の石段よりやや狭く、石も幾分か小ぶり。それは高さ16メートルの五重塔と
歩調を合わせるかのごとくで、精緻な工芸品をみている気分である。
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スギ、ヒノキ、そして落葉樹を背景に屹立する可愛く優美なすがたは人を惹きつけるに十分。
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石段を上りきった場所、側面からみる五重塔は可愛い。
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奥の院・参道の石段は770段ともいわれている。
石段を上る前は数えようと思うのだが、上り始めたら忘れている。
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無明橋への石段の手前は賽の河原。積石が多く見られる。
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無明橋をわたってすぐ近く。スギの根が大岩を抱き込んでいる。
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赤い木肌がむきだしなのはヒノキ。
この時期、樹皮(檜皮=ヒワダ)ははがれ、長期乾燥後、五重塔と御影堂の屋根に葺かれる。
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奥の院から下りてきて、
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五重塔に別れを告げる。
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本堂さん、またいつかお会いしましょう。
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正面からみても見事というほかないが、側面の木々の葉を通してみる金堂もいい。
屋根は柿葺の縋破風である。
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帰路も再び鎧坂と金堂を仰ぎみる。えもいわれぬ光景である。
いつかまた来て、ここを上りなさいと言っているかのような不思議な石段である。
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