バイブリー |
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小さな川があり、古い石橋が架かり、新緑につつまれて花が咲いている。どこにでもある風景。
ほかの場所との違いをあえて探すなら空気、光と影の違いかもしれない。初夏というのに太陽は真上に上らず、
地平の低い位置をぐるりとめぐる。
空気は乾いている。日照時間は長いが日差しは強くない。そうしたことが自然の造形物を美しくみせるのだろうか。
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バイブリー スワンホテル |
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コルン川とスワンホテル
21世紀になってこのホテルで挙式する日本の方が増えたという。人は好き好き水仙の花より云々という文言があるが、
花嫁に見とれるのを忘れてバイブリーの風景に見とれる男性は挙式はもちろん、若い女性との同行も避けるべきである。
1999年当時、共に暮らして18年、若くなかった小生と家内は風景やコガモに見とれていた。
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バイブリー |
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コルン川
濃紺の空が下りてきて漆黒色に変わる夜、息をひそめ耳をすませば幽かな音が聞こえてくる。精霊の時間なのだ。
都会から闇がなくなった。精霊も消えた。暗ければ暗いほど精霊は生き生きする。再生の朝をむかえるために。
漆黒の夜がなくなった朝、どう再生するというのだろう。
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バイブリー |
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コルン川
思い出の地を再訪したようにもみえる熟年カップル。バイブリーの魅力は、いつ行っても、何度行っても、
そのつど癒やされるということだ。
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バイブリー |
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コルン川
1999年6月中旬、水鳥にではなく水鳥と遊ぶ少女に癒やされた。そのときは白鳥でなくコガモだった。
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バイブリー |
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アーリントン・ロウの民家には周知のごとく居住者がいる。
この住宅群は季節、構図、アングルほかを問わず被写体の対象として常にすばらしい。
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バイブリー |
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バイブリー |
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民家。 こういう風景がフランス、イタリアでもなく、ドイツ、オーストリアでもなく、まさにイングランドなのである。
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スタントン |
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スタントン(Stanton)はブロードウェイの南西5キロ、スノーズヒルの西3キロに位置し、コッツウォルズ屈指の美しい村である。
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スタントン |
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大型バス用の駐車場がないこともあって、村はいたって静か。馬上の女性も悠々たるもの。
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スタントン |
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スタントン・午後の静寂。5月半ばを過ぎても、おそらくは夏になっても静かな時が流れているだろう。
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スタントン |
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決して多いとはいえないバラ。何年か後に再訪したら増えているかもしれない。
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ブロードウェイ |
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ブロードウェイは人口2500人ほどの小さな町で洒落た宿やパブが多く、過不足なく過ごせるの。
ただ、ブロードウェイについて劇作家・小説家のプリーストリー(1894−1984)は「イングランド紀行」に
「ブロードウェイはいかにも観光客向けの村になってしまった」と書き記している。
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フットパス |
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ブロードウェイからスノースヒルへはフットパスを歩く。歩行距離は3q強、散歩気分であっという間に到着。
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スノースヒル |
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全土に網の目のごとく存在するパブリック・フットパスの総延長は地球4周分(英国政府試算16万9千キロ)になるそうだ。
イングランドでは人間の数よりヒツジのほうが多いと誰かがまことしやかにいうが、フットパスの多さは喜ばしく、
コッツウォルズは車を利用するより軽装にてフットパスを歩くにかぎる。旅行中の同好の士と出くわすこともあるけれど、
散歩中の地元の人たちとすれちがうことが多く、どちらからともなく交わされる挨拶が心地よい。
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スノースヒル |
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典型的ともいえるコッツウォルズの丘の風景なのだが、こうして俯瞰できる場所はコッツウォルズでもそんなに多くはない。
歩くことで思わぬ出会いや発見がある。足とか膝に難がなければ歩くのがベスト。
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スノースヒル・マナー |
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マナーハウスほかの建物は小高い丘スノースヒルにあり、丘の斜面をうまくつかった庭はみるに値する。
四阿の窓枠、ベンチ、扉など、造園を手がけたチャールズ・ウエードの名を冠した「ウエード・ブルー」で塗られている。
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スノースヒル・マナー |
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周囲の景観にとけ込んでいる。石造家屋の素材はコッツウォルズ特産のライム・ストーン。
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スノースヒル・マナー |
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手前と奥との高低差がある。門柱もライム・ストーン。
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バートン・オン・ザ・ヒル |
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閑散とした村のメインストリート。バートン・オン・ザ・ヒルに限ったことではないが、コッツウォルズの小さな村は静寂一色。
この村はチッピングカムデンの南13キロ、ストウ・オン・ザ・ウォルドの北13キロに位置し、コッツウォルズの隠れ家的存在。
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バートン・オン・ザ・ヒル |
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人はむろん、イヌ・ネコさえほとんど見かけない眠ったような村。そこに魅了され再訪したくなる。
都会の喧噪を逃れ、リフレッシュするにはもってこいの場所。
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バートン・オン・ザ・ヒル |
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村の随所に絵になる風景が点在する。
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バートン・オン・ザ・ヒル |
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ホース&グルーム |
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ホース&グルームはバートン・オン・ザ・ヒル唯一のパブ。B&Bも兼ねていて部屋数は5。
ほどよい広さの部屋は清潔で快適。
【「ホース&グルーム」についてはミシュラン赤本のモートン・イン・マーシュ(Moreton-in-Marsh)に掲載】
バートン・オン・ザ・ヒル村は人口約3200人の町モートン・イン・マーシュに属している。
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マーケット広場 |
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ストウ・オン・ザ・ウォルドの歴史を語るとき必ず登場するのがここ、「The Square」と呼ばれるマーケット広場。
ストウは古来より交通の要衝として栄えてきた。The Squareは八つの道が東西南北から交差し、小さなホテル、
パブ、銀行、薬局などがあり、旅人に必要な条件がそろっている。
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ストウ・オン・ザ・ウォルド |
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コッツウォルズ・フェスティバル
「ストウ・オン・ザ・ウォルドの戦い」は1646年3月21日早朝、アストリー卿麾下の騎兵約500+歩兵約3000の王党派軍と
モーガン大佐麾下の騎兵約600(800ともいわれる)+歩兵約2500の議会軍との間でおこなわれた。
騎兵数で優位に立つ議会軍がアストリー卿を捕らえ、王党派兵1500を捕虜としたことでアストリー卿はストウのマーケット広場で降伏、
ストウの戦いは終結した。画像はフェスティバル時のもので、ストウの戦いを記念するパレードは毎年3月21日に催されるが、
それとは別にコッツウォルズ・フェスティバルは通常9月に開催される。
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ストウの戦い |
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コッツウォルズ・フェスティバル
ストウの戦い。服装からおわかりのように議会軍。
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フェスティバル |
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オリバー・クロムウェルVSプリンス・ルパート
カンバーランド公ルパートはチャールズ1世(1600−1649)の甥。クロムウェル率いる議会軍とルパート公の王党派軍は
ウォリックシャー州エッジヒルやヨークシャーのマーストン・ムーアなどイングランド各所で戦闘している。
勢いに乗ったクロムウェル側が勝利をおさめ、チャールズ1世は1649年1月30日処刑される。世にいう清教徒革命である。
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敗れたりといえどもチャールズ1世&王党派を支持する人は多かった。
ところで、この方もパレードに参加したほかの方も、なぜか見事に絵になっている。
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ストウ |
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ストウ |
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正午過ぎのストウ、初夏の日差しはやわらかい。時間はゆっくり流れている。
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コッツウォルズ名物 |
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いうまでもなく蜂蜜。一つ買って日本に持ち帰りました。純度が高く、昔の蜂蜜らしい蜂蜜の味。
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ストウ・オン・ザ・ウォルド |
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人口約2000人のストウ・オン・ザ・ウォルド
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ルーシーズ・ティールーム |
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ハイストリート沿いに店をかまえるストウで人気の軽食喫茶。英国内からの旅行者の支持をえている。
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ストウ・オン・ザ・ウォルド |
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ストウのメインストリートから路地裏に入ると小さな店がいくつもあって楽しい。
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ノーントン |
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ストウからノーントンまで西南西へ9キロ、車ならB4068の一本道で所要時間10分少々。
馬なら休憩回数にもよるけれど1時間とかからない。行程の3分の2ほどに分岐路があり、
左折するとすぐアッパースローター。ノーントンは細長い村だ。
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ノーントン |
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ノーントンの民家もライムストーンで造った家が多く、周囲の景観と調和している。
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ノーントン |
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石垣のボーダーはヒツジ除けであると同時に風景を引き立て、撮影の主役になることも。
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フットパス |
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フットパス |
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ノーントン(Naunton)からアッパースローターまで3キロ少々、カントリーサイド気分に満ちた快適なフットパス。
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こういう小道で馬に乗った女性に出会うこともある。
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ノーントン |
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ノーントン(Naunton)からアッパースローターへの小道。人も歩けば犬に会う。
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ノーントン |
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アッパースロータまで間近。
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石垣が邪魔して渉れない。ネコならOK。
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アッパースローター |
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アッパースローター |
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いうまでもなく英国に輸入される車は右ハンドル。高性能スポーツカーも右。
石垣ぎりぎりに駐車しているから右側ドアは人が乗り降りできるほどには開かない。ドライバーは左側から降りたのでしょう。
英国では、道路や路肩に余裕があっても、ほとんど車の通らない道でも、駐車違反の標識がなくても、こうした駐車は嫌われる。
近くの駐車場を探して駐めるのがマナー。
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アッパースローター |
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ヒツジ防止の柵も風に揺れているようにみえる。それだけのことでほかに取り立てていうこともない光景。
しかし、これこそコッツウォルズと言いたくなる光景。
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アッパースローター・マナー |
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コッツウォルズでもこのあたりはマナーハウスが多く、内部を改装してホテルにしている邸宅もあり、
そうでないマナーハウスもある。英国や欧州の富豪が所有する別荘とか居宅ならいいのだが、
チャイニーズ・マネーが投入された結果であるなら気分はよくない。静かな村もやかましくなる。
華僑、台湾国民は別として、本土中国人のマナーと清潔感は劣悪というほかなく、美しい村はスラム化する。
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看板 |
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マナーハウス・ホテルの道しるべ。
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ローズ・オブ・ザ・マナー |
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コッツウォルズを旅して迷うのは、宿をどこにするか。洒落たB&Bが最適なのだが、たまには高級志向となると
マナーハウス・ホテルということになる。コッツウォルズで3泊以上する場合、2カ所の宿に振り分けるのもいい。
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マナーハウス |
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アーリー・モーニング・ティー(午前6時〜
8時半)のサービスがある芝庭。
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マナーハウス |
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自らの意志で減速しているあいだは問題ない、だが、いつか失速する日がやってくる。
体力や気力の減退、経済状況の変化など。いつでも行けると思っているうちに30年経過したなんてよくある話だ。
エジプトとかシリアじゃあるまいし大仰な、英国は未来永劫民主国家、だいじょうぶと決めつけていたらタイヘン、
宿は待ってくれても老化は待ってくれない。
動作が緩慢になって素早く行動できなくなるし、車幅感覚がおとろえて、スローターからストウへの車2台すれちがう
のがやっとという窮屈な小道の対応が覚束なくなる。英国人の多くは車幅感覚にすぐれているから尚更。
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道しるべ |
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ローワースローターの道標
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ローワースローター |
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コッツウォルズには小さくステキな町や村は多いけれど、その中でベスト3選ぶとすると難しい。
バイブリー、スタントンははずせないとして、次にくるのは‥ローワー・スローターだと思う。
ローワースローター・マナーという高級ホテルがアイ川のたもとにあって、ある種の高級感をかもしだしているが、
そんなことはたいしたことではない、
小さすぎるアイ川の、みるものみな美しく思える夕暮れ。そのとき、その場所にいるだけで旅は報われるだろう。
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ローワースローター |
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ローワースローターで二番目に高料金の宿として知られているウォシュバーン・コート。
部屋数はローワースローター・マナーの19室に較べて26室だが、室料はほぼ半額。
泊まったことはないが、アイ川沿いにあるので夕暮れの景色は楽しめる。
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ローワースローター |
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小振りのアイリス。アッパースローター、ロワースローターにはフットパスが網の目のごとく張りめぐらされて「いる。
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ローワースローター |
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入口に商品を並べる店がローワースローターに出現したのは21世紀に入ってから。時代の趨勢といえるのかもしれない。
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