北ウェールズでは、ハーレフ城、ポートメリオン、スランゴスレン、スランデュドゥノ、コンウィ城などを紹介します。
ウェールズ(Wales)の名の初出は8世紀、語源はアングロサクソンの外国人(wealas) ウェールズ語では「Cymru」(カムリ)。
ハーレフ城
ハーレフ城
 
東に広がるスノードンの山並み、西にトレマドッグ湾を眺望する抜群のロケーション。ハーレフ城は高さ60メートルの岩盤の上に屹立。
 
遠くから敵が攻めてきてもよくわかる。中世の城に多くみられるように、城の三方が断崖になっていて防衛の役目をはたしている。
 
 
中世の跳ね橋の代わりに木橋がかかっていて、見学者はここをわたって城内へ。
 
 
 
 
 
1283−1290年、エドワード1世によって建てられたハーレフ城。
当時建設されたウエールズの城は似たようなかたちをしている。
ハーレフ、カーナーヴォン、ボーマリス、コンウィなど。ハーレフ城は中世城郭建築の最高位に位置するという。
 
☆上記4城は早くから世界文化遺産に指定されている☆
 
 
ウェールズ出身はトム・ジョーンズ、ローラ・アシュレイ、アンソニー・ホプキンス、キャサリン・ゼタ・ジョーンズほか。
 
The Ardudwy Knights
The Ardudwy Knights
 
アーデント・ナイツ(Ardent Knights) at Harlech Castle=ハーレフ城の燃ゆる騎士とでもいえばいいのか、
概ね毎年6月中旬〜6月下旬、ハーレフ城で催されるアトラクション。13世紀の装束・武具を身にまとい、
真に迫る戦闘シーンを披露。(わかりにくいけれど、放たれた矢はフレーム内に入っている)
 
☆ウェールズ語では「Ardent」を「Ardudwy」と記す☆
 
 
右側の若者は中央の黒装束の男性と殺陣を演じている↓
 
 
ショーとはいっても迫力十分、頭も手も防具をつけているけれど、鎖がまともに当たれば痛い。
出ているのは町の有志であってボランティア。が、見事にサマになっているのはさすがシェイクスピアの国。
 
 
これで一撃食らったら、兜をかぶっていれば目から火が出るかもしれません。
兜なしなら頭部損傷ということも。
 
 
真剣そのもの。それもそのはず、武具は当時(中世)のレプリカで、竹光ではありませぬ。
 
 
13世紀の武具
13世紀の武具
 
折りたたんでいるのはウェールズの旗。
 
 
 
武具は近づいて見られるし、撮影も可。こういうサービスもウェールズならでは。
 
 
成年に達した英国王の長子にプリンス・オブ・ウェールズの称号を与えるのは、13世紀にウェールズを併合したエドワード1世以来の慣例。
英国王はウェルシュ・ゴールドの結婚指輪をはめる。また、テューダー朝(1485〜1603)のルーツは北西ウェールズ、アングルシーに遡る。
 
トレマドック湾
トレマドック湾
 
ハーレフ城近辺からのぞむトレマドッグ湾。ハーレフは人口1230人ほどの小さな町。
 
 
ポートメリオン
ポートメリオン
 
ハーレフ城からA496を北東へ走り、10キロほど行った細い交差点を左折し、約2キロ地点のA487を左折、
最初のラウンドアバウトまで走って、「Portmeirion」の標識に従って行けばポートメリオンに着く。
 
ポートメリオンは森の精が魔法の粉をふりかけて色彩豊かな家々をこしらえたような村である。
 
 
トレマドック湾から流れ込む土砂はこの辺りの入江に堆積し、その浅瀬に波がゆっくり押し寄せる。
早朝の干潮時、散歩にはうってつけ。波が引くと、かなりの面積の砂地が露出する。画像は潮が満ちようとしている。
 
クロー・ウィリアム=エリス(1883−1978 建築家)はここを理想郷とみなし、私財を投じて42歳(1925)で建設をスタート、
89歳(1972)で完成させ、サーの称号を得た5年後の1978年永眠した。ポートメリオンはウィリアム=エリスの作品、私設村である。
 
カラフルな家並みはウェールズ的ではない。ウエールズはもっと素朴で、森のなかに精霊が住んでいそうなところなのだ。
ここにはおとぎの国のような色彩に満ちている。あたかもウェールズで生まれ育った人々の心の裡であるかのごとく。
 
ここはガーデン喫茶兼憩いの場。簡素な装飾。
 
 
 
 
どこから何がどのように見えるか、配色はどうかということも計算されている。
 
 
アジサイは江戸時代末期にオランダがヨーロッパにもたらしたという説がある。植物学に強い関心を持っていた
オランダ商館医シーボルト(ドイツ人)がアジサイを新種記載したという。
 
楠本いね(オランダお稲)はシーボルトと楠本滝の娘。新種otaksaはシーボルトの命名で、これは滝の名ではないかと
牧野富太郎は推測している。アジサイは英国のどこへ行っても目にする最も一般的な花である。
 
ポートメリオン焼
ポートメリオン焼
 
絵柄のカラフルさで知られるポートメリオンの陶器。
 
ポートメリオン焼
ポートメリオン焼
 
 
ポートメリオン
ポートメリオン
ポートメリオン
ポートメリオン
ホテル・ポートメリオン
ホテル・ポートメリオン
 
ポートメリオンは人間がつくりだした芸術の結晶である。遠浅の入江、なだらかな丘、小高い山と造形物との調和。
自然破壊を極力抑えるという英国人の発想が生んだ立体的芸術。夕暮れどき、しみじみと味わう。
 
室数は26、内18室がスイート。見えないが奥に建て増し2棟があって、最西棟の部屋はバルコニー付。
 
 
 
カントリーサイド
カントリーサイド
 
ウェールズには車一台通るのがやっとという道が多く、対向車は来ないからいいようなものの、来たらタイヘン、どちらかが道を出るしかない。
 
アンソニー・ホプキンスは、「時が経つにつれウェールズとの関わりが強くなっています。どこかでウェールズに戻りたいと
いう思いが湧いてくるのがわかるようになりました。もちろん映画製作に携わることに変わりはなく、映画を愛しています。
しかし、ウェールズの丘、山々に囲まれ過ごす一日に匹敵するものはありません」と言っている(ウェールズ観光局「WALES&CYMRU」)。
 
カントリーサイド
カントリーサイド
 
『暑い日がほとんどなく、常に大西洋からの微風を受けて湿気の多い気候は、植物類に過酷な制限を課している。
樹木はわずかな背丈にしか伸びず、耕作も低地でしか持ちこたえられない。肥沃なのは周囲の平原だけである。
そこでは果実類や小麦が実り、野菜も生長するが、他の場所に行くと、畑ではせいぜいオート麦か家畜用の蕪くらいしか
育たない。高所に登るにつれて農耕の形跡は急速に消え失せてしまう。残されているのは(中略)、やせた放牧地だけである。』
(L・カザミヤン「大英帝国 歴史と風景」)
 
過剰なものは何もない。
ハイランド同様そうであるからこそ人間のあたたかさがあふれているのだ。癒やされるのはこういう風景なのである。
 
☆ルイ・カザミヤン(1877−1965)はフランスが生んだ最大の英国研究者のひとりで、「大英帝国」はその代表的な英国総合研究である☆
 
 
 
フェスティニオグ鉄道
フェスティニオグ鉄道
 
1832年に設立された世界最古の峡谷旅客鉄道。ブレイナウ・フェスティニオグ(Blaenau Ffestiniog)山間の鉱山から取れる石板を、
かつての港であった町ポースマドック(Porthmadog)へ運ぶために敷設された。
スノードニア国立公園内22キロの行程で変化に富む景観(牧草地、川の流れる谷間、深い森など)を楽しめる。
 
 
この赤いバス、POST OFFICE CABLE&WIRELESS SERVICES とペンキで書かれている。
何も書かれていなければスクールバス、あるいはコミュニティバスのようにも見える。
 
はぐれ雲
はぐれ雲
 
空がいつもと違って見えるのは旅の空だからなのか。旅の空と思うからそのように見えるのか。夢に出てきそうな、綿菓子のような雲である。
旅が夢か、夢が旅か。馬から落ちて落馬して。意味不明。
 
 
保存鉄道?
保存鉄道?
 
ウェールズをドライブしているとさまざまな風景に出会う。アマゾンで取り寄せる洋書や、現地の書店で購入する
ガイドブック、写真集にも載っていない風景はあまりにも多い。毎日が驚きの連続といえる。後で調べてわかることもあるけれど、
わからないこともある。この線路、狭軌鉄道ということはわかるし、かつて鉱山から採石を運んでいたというのもわかるのだが、
保存鉄道のひとつなのかどうか、いまだにわからない。
 
 
ウェールズの森に入るとこういうものに出くわす。白髪の老人というか、森に住みついた仙人とでもいおうか、
昼間ならどうということもないが、夜の森で、月明かりにボーっと浮かぶのを見たらギョっとするかもしれない。
 
 
ウェールズをドライブしていると時々こういう風景に出くわす。日本のガイドブックには決して載っていない小さな湖、深い森、
B&Bらしき建物、湖面に浮かぶ二艘のボート。思いもかけない風景に出会って旅の果実を得ることもある。
 
 
バーマス  Barmouth
バーマス  Barmouth
 
ハーレフ城からA496を18キロ南下するとバーマス湾沿岸の小さな町バーマスに着く。入江に架かるバーマス橋は木製(820m)で、
1867年に完成し、画面左80mの跳ね橋は鋼鉄製で1901年に造られた。人口約2500人の落ち着いた町だ。
 
木製の橋には歩道もあるが、行きそびれた。
 
北ウェールズ カントリーフェア
北ウェールズ カントリーフェア
 
夏の呼び物として名高い北ウェールズ・カントリーフェアはグゥイネス(Gwynedd)の小さな村バラ(Bala)でおこなわれる。
バラはハーレフ城やバーマス(Barmouth)からほぼ同距離で、さらに東のスランゴスレン(Llangollen)の途中、
A494とA4212が交差する地点にあり、スノードニア国立公園東端に位置し、人口約2000人。バラ湖は夏期キャンプで賑わう。
 
フェアの目玉は木こり大会で、木こりがノコギリで大木を切る時間を争うおなじみのアトラクション。だが、それより
おもしろいものがあった。
北ウェールズ カントリーフェア
北ウェールズ カントリーフェア
 
ラクダにもウマにも乗ったが、ラクダの背はウマより高位置なので、落ちるとかなり痛い。打ちどころがわるいと一大事。
ヘルメットは必需品。にしても、こんなところに女性だけのラクダ・レースがあるなんて。
 
 
スランゴスレン 水道橋
スランゴスレン 水道橋
 
スランゴスレンへはローマ帝国が城壁を築いたイングランドの町チェスターからが近く、36キロ、車なら40分である。
スランゴスレン(Llangollen)の名はウェールズだけでなく英国全体に知れわたっているが、居住者3000人ほどの町。
 
ポントカサステ・アクアダクト(Pontcysyllte Aqueduct)と名付けられた水道橋は高さ38メートル、長さ307メートル。
小船からの渓谷眺望は人気の的。スコットランドの道路技師トーマス・デルフォードとイングランドの土木技師ウィリアム・ジェソップ
によって1804〜5年に造られた。1999年、世界遺産の暫定リストに載り、2009年に正式に世界遺産として登録された。
 
水道橋クルーズ
水道橋クルーズ
 
3月〜10月の火〜金、おおむね11:00〜16:00の営業。
 
19世紀当時は石炭、スレート、羊毛などを小船で運んでいたという。
 
 
プラース・ネーウィズ  Plas Newydd House
プラース・ネーウィズ  Plas Newydd House
 
スランゴスレンの中心街南東の坂を400メートル上がった丘の中腹にプラース・ネーウィズ(新しい館の意)はある。
見てのとおり女性が多い。エレナ・バトラーとサラ・ポンソンビーという女性が1780〜1829年、共にここで暮らした。
館正面のステンドグラスの窓はゴシック様式、オーク材の羽目板はテューダー様式というふうに、女性ふたりが改装した。
 
この館を訪れた物好きな著名人はというと、ウェリントン、ワーズワース、ウォルター・スコット、ウェッジウッド(ボーンチャイナ)
など錚々たる顔ぶれである。お調子者のワーズワースは、「愛し合っている娘たち、愛は天に昇ることを許されている、
この世にあっても時間を超えて」などと賞讃する詩をふたりに献辞している。
 
庭園  プラース・ネーウィズ
庭園  プラース・ネーウィズ
 
エレナとサラは使用人のメアリー・カリルと同居し親交を結ぶ。メアリーは生前、プラース・ネーウィズの自由保有権なるものを
苦労して買い取り、死後ふたりに遺贈した。エレナは1829年、サラは1831年に亡くなった。
住民との交流が深かったのか、人望があったのか、エレナ&サラが永眠したとき町内の店舗はその死を悼んで店を閉めたという。
 
プラース・ネーウィズ
プラース・ネーウィズ
 
喧伝されていないけれど庭の意匠は魅力的。
 
ライラック
ライラック
 
ライラックのように清楚で控えめ、明るく美しい人がいるなら、それだけで十分である。
 
 
ボドナント・ガーデン
ボドナント・ガーデン
 
A55のスランデュドゥノ・ジャンクションからA470を約9キロ南下するとボドナント・ガーデン。
コンウィ川上流に位置する32ヘクタールの庭はウェールズ屈指の名園。紅白のハスの花が咲くキャナル・テラスの池。
 
ものの本には、「ボドナント・ガーデンは四代続いた植物愛好家一族の夢と知恵と幸運が作り上げた偉大な作品である云々」と記されている。
 
 
ボドナント・ガーデン
ボドナント・ガーデン
ボドナント・ガーデン
ボドナント・ガーデン
 
四代続いている植物愛好家の初代ヘンリー・D・ポーチンは科学者だったが事業家に転身、石鹸王となる。
そしてまた陶磁器造りに適した土の販売を手がけ巨万の財を築く。そして1874年、北ウェールズの地に
広大な土地を買った。そこが作庭にも適していることに気づいたのは、陶磁器の土で経験ずみというべきか。
 
王室植物院会長をつとめたという孫のヘンリーはナショナル・トラストに庭園を譲り、自らが庭園の管理人となる。
その子チャールズも父親の意志を継承し、園内の建物(画像)に住んでいるらしい。
 
 
ボーマリス城
ボーマリス城
 
バンゴールの町とアングルシー島を隔てるマナイ海峡に架かる橋をわたり、A545を北東に6キロ進めばボーマリスに着く。
ボーマリス城は平坦なアングルシー島の東海岸に面して静かに佇んでいる。
 
ものの本によるとボー・マリスとは美しい湿地の意。ウェールズを併合したエドワード1世が軍の建築士に築城させた(1298)。
 
ボーマリス城
ボーマリス城
 
 
ボーマリス城
ボーマリス城
 
城壁は二重構造になっている。資金が尽き、当初の予定より城壁の高さが低くなったことは幸いというべきで、
威圧感が薄く、荘厳さを残しながらも魅惑的な佇まいとなっている。
 
ボーマリス城
ボーマリス城
 
 
ボーマリス城 駐車場
ボーマリス城 駐車場
 
ボーマリス城へ入る前に芝生におおわれた広大な駐車場に行くと、小型ヨットが海上を進み、コンウィ湾の対岸にスノードンの山並
を眺望できる。これがなんともいえない雰囲気を醸しだしている。城とは別のステキな景観である。
 
スランデュドゥノ
スランデュドゥノ
 
右はユニオンジャック、左はウェールズの旗。レッド・ドラゴン。対岸はビクトリア海岸とプロムナード、そしてホテル群。
スランデュドゥノと高速道A55、コンウィ川を隔ててコンウィ城がある。
 
1999年6月中旬、初めてウェールズを旅した。首都カーディフ(南ウェールズ)の日本料理店で飲んだ水はひどかった。
コップの水を一口飲んですぐエヴィアンを注文した。お茶も同じ水を使っていたろうから飲む気はしなかった。
 
しかし北ウェールズの水は別物だった。
スランデュドゥノとコンウィの中間にあるカントリーハウス・ホテル「ボディスガスレン・ホール」に宿泊し、館内レストランでの夕食時
ミネラルウォーターを頼んだら、給仕は、「このへんのお水はおいしいですよ。ためしに飲んで気に入らなかったらご注文を」と応えた。
 
たかが水道水と思うなかれ、スノードン山系を源流としてコンウィ川を流れてきた水は、それまでヨーロッパで飲んだ
すべてのミネラルウォーターよりおいしいどころか、本邦の月山の水や真名井の水も顔色なからしむほどのうまさだったのだ。
 
Llandudno スランデュドゥノ
Llandudno スランデュドゥノ
 
北ウエールズに関する情報が日本に少ないのは団体ツアーがないから。19世紀、リゾート地として建設されたスランデュドゥノは英国でも有名、
日本人団体客を受けいれるホテルもある。ただし7−8月を除いて。夏は英国内から客がどっと押し寄せ、日本人ツアーの入り込む余地はない。
スランデュドゥノの人口はおよそ15300人。中部〜北ウェールズではアベラゥストウィス(Aberystwyth)の約23400人に次ぐ多さである。
 
スランデュドゥノ
スランデュドゥノ
 
どうにも発音しにくい名前スランデュドゥノには、ナポレオン3世、ビスマルクなども訪れている。
 
Three Castles Rally  最終日
Three Castles Rally  最終日
 
正式呼称は「Three Castles Welsh Classic Trial」。 スランデュドゥノのビクトリア海岸をスタートして、ペンリン城(Penrhyn Castle)、
ボーマリス城、カーナーヴォン城を経由する4日間450マイルのラリー。2002年にはじまった。期日は6月中旬〜下旬。
主に1920〜1930年代のクラシックカーによるラリーのエントリー台数は80台前後。2012年優勝はロータス・エラン。
 
英国のカントリーサイドを5月〜6月にかけてドライブしていると時々クラシックカーに乗ったカップルとすれちがう。ラリーの練習と
いうわけのものではなく、古い車のエンジンに活を入れたり、足ならししたり、ボディに風をあてたりしているのだろう。
 
 
ステキなコースは、ビクトリア海岸〜カーナーヴォン〜スノードン山〜アングルシー〜コンウィ渓谷〜クロイド・ヒル。
 
見るかぎりナビゲーターは奥方。やもめ男の場合のパートナーはそれなりの女性ということでしょう。
男のナビゲーターがいたかどうか記憶は定かでなく、いたとしても、それなりの男性ということでしょう。
 
コンウィ城
コンウィ城
 
コンウィ城は外壁工事共に1283年から1287年の約4年半で造られた。21の塔を持ち、ウェールズの城のなかの最高傑作、
城と町は往時の要塞の姿を見事に残すものとして讃えられている。
 
塔のてっぺんの草地にカモメが巣をつくっていて、初夏から夏にかけて訪れるたびにヒナを何羽も見た。
 
コンウィ川
コンウィ川
 
コンウィの町は海に出るコンウィ川とジフィン川にはさまれた地形の先端にあり、三角形にかたどられた城壁(総延長1300メートル)
に囲まれた城塞都市である(人口約3800人)。Conwyはウェールズ語で輝く川の意。
 
コンウィ城がわずか4年半で完成したのは当時としては異例な早さ。石材の切り出しと輸送に多くの時間を要するところ、近距離に
ある廃城デガンウィ城の石材を使うことで早期の築城を可能にしたという。安土桃山時代の日本でもおこなわれた手法。
 
 
Smallest House
 Smallest House
 
「英国で最も小さな家」はギネスブックに載っている。間口一間(1、8m)、奥行き一間半強(3m)ということだから、
間口は左の女性の身長とほとんど同じ。
 
1Fには暖炉(厨房兼用)、燃料貯蔵庫(椅子兼用)、テーブル、2F寝室へのはしご、シングルベッド、化粧台などが
巧みにセッテングされており、壁に絵もかかっている。
19世紀末ごろまでこの中に身長1、9mの船乗りが住んでいたらしい。用足しは共同トイレだったとか。
 
コンウィ城の続きは下のバナー「Conwy Castle」で