ハイランドの珠玉はダノッター城、グレン・コー、アイリーン・ドナン城、グレンフィナン、スカイ島、オークニー諸島、ロイヤル・ディーサイドである。
 
グレンフィナン高架橋はフォートウィリアムからA830を26キロ西に進んだ地点、細長いシール湖(Loch Shiel)のすぐ北に架かっている。
地図上はアイリーン・ドナン城の真南、直線距離にして45キロに位置するが、小高い山と小さな湖だらけの複雑な地形をしており、
登山道があるだけで道路はまったくなく、アイリーン・ドナン城から車でA87〜A82〜A830を経由し132キロ走らなければばらない。
グレンフィナン高架橋
グレンフィナン高架橋
 
グレンフィナンのランドマークであるグレンフィナン高架橋は高さ30b、長さ約380b、世界最古のコンクリート製。
橋の建設工事は1897年7月にはじまり1898年10月に終わった。
高架橋は21本のアーチを持ち、フォートウィリアム〜マレイグ間(西ハイランド鉄道)に蒸気機関車ジャコバイト号が走っている。
ジャコバイト号
ジャコバイト号
 
ジャコバイト号(蒸気機関車)と命名されている列車は1日1本、5月12日〜10月24日は月曜〜金曜、ただし6月21日〜9月21日は毎日、
フォートウィリアム発10:15 マレイグ着12:25。グレンフィナン駅で20分停車。マレイグ発14:10 フォートウィリアム着16:00。線路は単線。
運賃は片道34ポンド、往復58ポンド(2014年7月現在)。営業は1995年からおこなわれ、事前予約制。
 
車内
車内
 
ジャコバイト号のジャコバイトは英語でジェームズ。1688年の名誉革命で王位を奪われたステュアート家ジェームズ2世の
血脈・子孫を支持するハイランドの人々はジャコバイトと呼ばれた。
 
ジャコバイト号
ジャコバイト号
 
グレンフィナン駅で停車中。
 
ジャコバイト号
ジャコバイト号
 
グレンフィナン駅で停まって蒸気を発散するさまが生きもののよう。
 
 
ジャコバイト号
ジャコバイト号
 
 
グレンフィナン駅
グレンフィナン駅
 
小さな駅は旅情をいっそうかき立てる。
 
グレンフィナン駅
グレンフィナン駅
 
グレンフィナン駅は乗降のためではなく、停車して、蒸気をはき出す機関車と景観をながめるためにつくられた。
 
グレンフィナン駅
グレンフィナン駅
 
手に取るようにシール湖が見える。
 
グレンフィナン高架橋
グレンフィナン高架橋
 
シール湖方面からグレンフィナン高架橋をのぞむ。
 
チャールズのモニュメント
チャールズのモニュメント
 
名誉革命で王位を追われたジェームズ2世の孫チャールズ・エドワード・ステュアート(1720−1788)は亡命先フランスから帰還、
ステュアート朝再興を狙って蜂起した。チャールズは1745年9月中旬エディンバラに入り、カーライル、マンチェスターをへて
12月初旬ロンドンの北150キロのダービーへ進軍、ロンドンはパニック状態になったが、チャールズ軍に加わったスコットランド貴族は
それ以上の南進を躊躇しスコットランドに撤退していった。
 
1746年4月16日、カローデンの戦いでイングランド軍・カンバーランド公に撃破されたチャールズはヘブリディーズ諸島に逃れる。
逃亡を助けたのが24歳の若い女性フローラ・マクドナルドである。フローラはチャールズを女装させ、侍女だと偽り、
スカイ島〜フランスへ逃れさせたという。
 
チャールズはハイランダーの支持しか得られなかった。人数に勝るハイランド軍の兵士の多くは短期訓練された農民、
しかも大砲や銃の質量は圧倒的にイングランド軍が有利で、次第に形勢は不利となっていった。
 
カローデンの戦いの後、イングランド政府はスコットランドの氏族制度を廃止し、キルトの着用もバグパイプも禁止した。
結果は暗澹たるありさまに終わったけれど、チャールズの人気は落ちていない。再起と挑戦に意味を見出すからだろう。
不撓不屈。ハイランド気質は21世紀のいまも生き続けている。
 
 
チャールズのモニュメント
チャールズのモニュメント
 
フローラ・マクドナルドのその後である。
 
チャールズを逃がした後、フローラは捕らえられ、1年間ロンドン塔(牢獄)に入れられた。
1750年、スカイ島出身のアラン・マクドナルドと結婚し、74年に一家でアメリカに移住
した。夫が独立戦争で捕まって6年後、フローラは7人の子を連れてスカイ島に戻る。
 
フローラが永眠したのは1790年のことである。
 
 
国力、軍事力、装備品のどれをとっても優位に立つイングランド軍と互角に戦ったスコットランド軍の中心はハイランド兵である。
中世から近世にかけてハイランド兵はヨーロッパ屈強の戦士という定評があったのだ。
 
話は前後する。1707年アン女王の治世にイングランドはスコットランドとの連合法に署名した。これによってイングランドは政治上の安全を、
スコットランドはイングランドの植民地との自由貿易を確保した。当初両国は不要ないざこざや戦争回避のためしぶしぶ署名したものであったが、
やがて両国に利益をもたらすこととなる。
 
シール湖畔のチャールズ碑
シール湖畔のチャールズ碑
 
湖のほとりに立つチャールズ記念塔(グレンフィナン・モニュメント)は、イングランドに対して彼が反旗をひるがえした地点をあらわす。
シール湖(Loch Shiel)は南西に細く長い湖。晴れた日は美しいが、雨の日の湖面は鈍色でうら寂しい。
 
ハイランドの旅は忘れものを探しにいく旅である。
 
※右端に見える白っぽい建物はグレンフィナン・ハウス・ホテル
 
シール湖
シール湖
 
旅に出なければ忘れものがあることに気づかなかったろう。目のさめるような風景、あたたかい人に接し、
帰路につくころ忘れていた何かを思い出す。それが旅の果実なのかもしれない。
 
右手に小さく見えるのは湖畔の宿グレンフィナン・ハウス・ホテル。グレンフィナン駅から南西へ約600bの至近距離。
 
グレンフィナン・ハウス
グレンフィナン・ハウス
 
湖と森の精が去って行く時間。 静かな湖畔の森の蔭から‥‥人間があらわれる時間。
 
グレンフィナン・ハウス・ホテルの営業はおおむね3月下旬〜11月上旬。宿泊以外に昼夕食を提供(12:00−21:00)
 
 
シール湖
シール湖
 
 
グレンフィナン高架橋
グレンフィナン高架橋
 
 
 
ジャコバイト号
ジャコバイト号
 
西ハイランド鉄道は保存鉄道である。英国人はそういう分野の先駆者であり、保存という考え方とボランティア精神がすばらしい。
 
 
 
蒸気機関車を見ているとわけもなく「サヨナラー」と叫びたくなる。
 
出港する船に対しても同じよう気持ちになる。ジェット機、新幹線にはそんな気持ちになったことはない。