スノードン登山鉄道
スノードニア国立公園の名所がスノードン山と周囲に点在する湖、古城、変化に富むハイキングコースであることに異論をはさむ者は少ないだろう。
スランベリス駅から機関車でスノードン山頂「サミット駅」まで登る観光客、ハイキング道から徒歩で登るハイカー、いずれも魅惑的景観が目当てだ。
 
途中駅(駅とは名ばかりのHebron、Halfway、Clogwynの各駅が始発駅スランベリスと終点サミット間にある)で下車し、歩いた。
湖や池を近くでみるにはそうするほかないから、いや、歩けば得るものは大きいとささやく声が聞こえたような気がしたからだ。
 
山頂(1085メートル)からの眺望は抜群でも、写真を撮るとなるとスケールが大きすぎて、各種レンズを駆使しても満足のゆく写真は望めない。
 
スノードン登山鉄道の客車は蒸気機関車とディーゼル機関車の2種があり、燃料が石炭か石油かの違いと料金の違い。2017年9月初旬時点で
蒸気機関車は往復37ポンド、ディーゼル車は29ポンド、片道料金は時期によって設定され、夏のピーク時は未設定、往復料金を支払う。
運行は夏期09:00−17:00 30分毎 頂上駅に30分停車、スランベリスに戻りたい人は乗車する。歩く人はご自由にということだ。
 
登山鉄道の開業は1896年。雨天は運休、天候不順で引き返した場合、料金は返却される。高低差600メートルの急斜面がつづき、帰路は
追い風でスピードが増しても時速64キロを超えてはならない。下りのスピードは速くても25キロ、上りは徒歩並みである。路線の全長7、5キロに
1時間かかる。しかし、スランベリスからの標高差1000メートル強を思えば、ウォーキングより速い。機関車は途中で一服する。
 
左(西)の細長いクエスリン湖の東沿岸にウェルシュ・ハイランド鉄道の線路がある。この写真ではあいにく視認できないが。
登山鉄道は線路のあいだに太い二重のレールがありアプト式という。レール側面がギザギザになっており、列車の下に取り付けられた
歯車がそれに噛みあって登る。安全性と機能性を採用したのだ。登山は力のいる仕事である。
 
小さな古い蒸気機関車は、速度の遅いがゆえに周りの奔放ともいえる広大さのなかで品位を保ち、君臨しているかのようだ。
 
スノードン登山鉄道
グラスリン湖&スリダウ湖
スノードニア国立公園は1951年に英国3番目、ウェールズ初の国立公園として設立された。
総面積約2140平方キロは英国で2番目に設立されたレイク・ディストリクト(湖水地方)国立公園の約2300平方キロに次ぐ広さだ。
スノードニア国立公園は北ウェールズ〜中央ウェールズにまたがっており、スノードン登頂の起点はスランベリス。
 
下はグラスリン湖(手前)とスリダウ湖(奥)。風景写真は光と影、そして大気の産物だ。快晴でも雨でもこれはといった写真は撮れず、
山の天候は急変する。一日か二日登って納得のゆく写真を撮ろうとすること自体あつかましいと思うけれど、時間は限られている。
 
グラスリン湖&スリダウ湖
グラスリン湖&スリダウ湖
↓以下の3枚は下りながらの連写。雲の流れも人の流れも早い。
 
日が雲の背後に追いやられ、光を奪われたグラスリン、スリダウ両湖の水面が片岩のような青みがかった灰色になっても、
ロイヤルブルーの面影を残し、隣人たる山影と懇ろな関係を保っている。
 
梅田修著「地名で読むヨーロッパ」によると「スノードンのdonはケルト語の丘を意味するdunが語源」。スノードニア国立公園
は「氷河に削られた深い谷が点在する」とも記されています。
 
 
 
グラスリン湖&スリダウ湖
グラスリン湖&スリダウ湖
北ウェールズの水はうまい。経験して言えることは、英国で最もおいしく、群を抜いている。北ウェールズのレストラン、ホテルで
ミネラルウォーターを注文するとバカをみる。水道水のほうがはるかにおいしいからだ。西ヨーロッパのどこにそんな場所があるだろう。
水はスノードン山系を源流とする川から引かれている。
 
グラスリン湖&スリダウ湖
グラスリン湖&スリダウ湖
このあたりには、空に向かって開放された湖と山裾野が持つ静寂、安らぎを間近で感じさせる美しさがそなわっている。
山麓に置かれた綴れ織のような緑、ごつごつした裸体の岩、それらが対比し調和するさまに清々しさを感じるのだ。
 
グラスリン湖&スリダウ湖
ランナー
ハイキング道ではなく、道なき道を猛スピードで駈け下りてくるランナーがいた。ピントが定まらぬ速さだった。女性だった。
後ろ姿をしばし見た。あれよあれよという間に降りていき、黒い点になって下界に消えた。何かの競技に出場するための特訓だったのか。
 
湖水地方、ヨークシャームーア、ダートムーアでも勢いよく駈けぬけるランナーを見たことはある。が、一気に駈け下りて行くのを
見たのは初めてだ。当人はなんとも思っていないのだろうが、はたで見ている者は、万が一ころんだらと思う。
どうかすればそのまま転がって岩肌か地面にたたきつけられるのではないか。そう考えて肝を冷やすのは彼女ではない、目撃者である。
 
斜面を下りながら思った。ここは英国、常に挑戦者がいる。往きも駈けて上ったにちがいない。早い列車に乗り、運がよければ、
かなりのスピードで駈け上がるすがたを見ることもできたろう。残念である。
 
ランナー
グラスリン湖
湖面を見ていると吸い込まれそうになる。右下に人がいる。湖畔より上から見るほうが絵になる。
 
グラスリン湖
スランベリス峠
スランベリス峠はA4086に沿うように連なっている。岩壁の向こう側(登山道)はそれほど急斜面ではなく、緑におおわれている箇所もあるが、
こちらはむき出しの岩肌、峻険としかいいようのない直角面である。途中まで登るのはヤギ、岩壁をよじ登るのはロッククライマー。
 
スランベリス峠
スランベリス駅(登山鉄道)
予備知識なしに初めてウェールズへ行き、スランベリスと発音できる人は少ないだろう。Lが二つ続くと一つめのLはスと発音する。
それさえわかればあとは簡単。しかし車を走らせているとき、道路標識にウェールズ語でしか記されていなければお手上げ。
 
おもしろいと感じるのは、登山鉄道スランベリス駅からサミットへ向かう乗客のうち、やや興奮気味なのはスノードン山初体験の人である。
英国人、外国人を問わない、有名な登山列車に乗るのでテンションは高まる。
 
機関車が天候不順で引き返そうものならタイヘン、まだそういう経験はないが、料金は全額返却されるといっても初体験の乗客の落胆ぶりは
そうとうなものと思われる。上りの最終列車を除けば次の予約がいつ取れるか定かではないからだ。
夏期は平日も予約が殺到、予約に必要な3、5ポンドは別途支払い。それでもほとんどの人は予約する。予約なしで乗れるのはシーズンオフ。
 
18年前(1999)の6月中旬平日、予約していなくても乗車できた。ピーク(7〜8月)前だったのと、時代(20世紀)もよかった。
スランベリスの人口は約2000人。
 
スランベリス駅(登山鉄道)
スランベリス駅(登山鉄道)
スランベリス駅(登山鉄道)
パダルン湖  子守の少女
見た目、母親。よく見ると少女。スノードン山と同じような昔なつかしい風景。
 
パダルン湖  子守の少女
パダルン湖
小魚を捕ろうとしている童女。スレートが瓦礫のごとく沈むパダルン湖。
 
パダルン湖
パダルン湖
パダルン湖岸に立つドルバダン城。記録によるとドルバダン城はウェールズの要衝スランベリス峠を警備するためウェールズ王子スリウェリン
によって1220年代、あるいは1230年代に建造されたという。
 
ウェールズとイングランドの争いが激しさを増した13世紀後半、イングランド王エドワード1世とウェールズ王子スリウェリンが戦場であいまみえ、
スリウェリンは戦死する。1282年12月のことである。王子の兄弟は再起をはかってイングランド軍と戦うが、武運つたなく敗れ、ドルバダン城
はイングランド軍に占領された。以来、紆余曲折をへてドルバダン城は荒廃に身を任せ廃城となる。
 
パダルン湖
ドルバダン城
ロイヤル・アカデミー会員の風景画家ターナーは25歳になった1800年、北ウェールズを旅し、スノードニア方面で絵筆をふるう。
その一枚が廃城ドルバダーンであったのはまことに幸いというべきである。
 
ドルバダン城
ドルバダン城 ターナー筆 1800年
ターナーがドルバダン城を描いたころは、樹木もなく、バダルン湖砂浜からの見通しもよかった。
現在は木々が生い茂っており、浜辺で背伸びしてもジャンプしても城は見えない。
 
ドルバダン城 ターナー筆 1800年
ドルバダン城
人が写っていると、建物のおおよその高さがわかる。ドルバダン城の高さは15.2メートルということだが、歴史の重みが加味されてか、
もっと高いような気がした。置き去りにされた廃城は、スコットランドのダノッター城にしても孤高のおもむきがある。
 
ドルバダン城
パダルン湖畔
北ウェールズの森がバダルン湖に落ちようとして湖岸でふんばっているあたりに得体のしれない館が。14〜15世紀のマナーハウス
にしては年代が合いそうにないし、19世紀ごろ建設されたホテルかもしれないと興味津々で行ってみた。
 
繁茂する樹木はオーク=ナラ。スノードニアは落葉樹が多く、オークは家具、フローリング材として利用される。木目がはっきりしており、
柾目もきれいだ。木にうとい明治期の翻訳者がオークを樫と訳し、いまだに誤訳が一人歩きしている。
 
パダルン湖畔
クアリー・ホスピタル
出向かなければホテルと思っていただろう。クアリー・ホスピタルは1860年に建設された。
1962年に閉鎖され、その後、地元のグイネズ評議会によって修復が施され、1979年に
ビジターセンターとして再開する。
建物内には病院時代の器具(診療具も含む)やベッド、薬箱、大きな車輪付き木製タンカーなどが
展示され、入場は無料。
 
クアリー・ホスピタル
クアリー・ホスピタル&パダルン湖
パダルン湖の対岸にも樹木があるが、ビジターセンタ側のほうが密に生えている。
スランベリス・レイク鉄道駅の北に位置し、駅から近いせいか見学者がやって来る。
 
クアリー・ホスピタル&パダルン湖
ベズゲラート
ベズゲラートはベズゲレルトと表記されることもあり、両方正しい。当HPはベズゲラートで統一。
 
14世紀からの典型的な北ウェールズの建物が並ぶベズゲラートは、国内のガイドブックに紹介されている人口約450人の村だ。
グラスリン川とコルウィン川が村の中心部の橋で合流する。グラスリンの名をつけた自家製アイスクリームは人気があり、
観光客の多くが買っている。スランベリスからだとスノードン山を隔て北側に位置し、直線距離は15キロ弱であるが、よほどの
健脚&登山上級者でないと山越えに2日はかかるだろう。
 
車ならスランベリスのA4086を北西に向かいカーナーヴォンを経由しA4085を南西に進む方法、A4086を南東に向かい、
A498の三叉路を右折して西南西に進む方法がある。どちらも約30キロの行程。
 
ベズゲラート
ベズゲラート
橋のたもとのホテル「プリンス・スリウェリン」。スリウェリンは13世紀のウェールズ王子スリウェリンにちなんでつけられた。
 
ベズゲラート
ベズゲラート
ベズゲラート・ビストロは気楽に入れる小さなレストラン。フランスではビストロの料理が家庭的、手頃な料金で味もまずまず。
ここはハイカー、登山者などで平日もにぎわっている。隣のティールームも経営している。
 
ベズゲラート
ベズゲラート
ベズゲラート
ベズゲラート 
ウェルシュ・ハイランド鉄道の線路が南北に延びている。夏なお涼しく、秋なおあたたかい。かつて山陰線を列車で行けば、似たような風景に出くわした。
 
ベズゲラート 
ゲラートの墓標
ゲラートは人間ではなく犬。1282年イングランドとの戦いで戦死したウェールズ王子スリウェリンの狩猟犬だった。
それにまつわる伝説があり、ある日猟にに出ようとしたスリウェリンがゲラートを呼んだが出てこない。
スリウェリンが猟から帰ったとき、ゲラートのあごから血がしたたり落ちていた。彼は不安でいっぱいになった。
 
1歳になる彼の息子がいないことに気づき、血まなこになって探した。本来いるべき子ども部屋の壁に血痕があり、
それが息子の血だと思った彼は剣をぬき、ゲラートを刺殺する。
その直後、ゆりかごから子どもの声が聞こえた。まぎれもなく息子の声で、まったくの無傷だった。
そばに巨大なオオカミに屍が横たわっている。ゲラートが子どもをかばってオオカミと必死に戦い勝利したのだ。
 
スリウェインは居城の外にゲラートの遺体を運び、手厚く葬ったという。ベズゲラートの町の名の由来である。
ベズ(Bedd)は「墓」。ベズゲラートはゲラートの墓なのだ。伝説に基づき墓石は200年ほど前につくられたという。
 
ゲラートの墓標
sygun fawr hotel
北ウェールズの定宿はスランデゥドゥノにあるカントリーハウス・ホテルだが、3泊目か4泊目は14世紀建造の宿で過ごすのもいい。
 
sygun fawr hotel
ベズゲラートに投宿すると、朝の散歩は足をのばしてこのあたりまで来る。これ以上行くと朝食までにガス欠となる。
 
自宅にいるとき朝はヘタに動くと腹が減って、疲れるから散歩は夕方におこなう。
 
crawflwyn
よせばいいのに足をのばした。で結局、ガス欠となってチョコレートを頬ばる。朝飯前の散歩は朝飯前とはいかなかった。
 
旅人の玉座というには地の利、装置ともに不足している。しかしここは旅人の玉座である。
玉座は特別な人間のためにあるのではない。どこかでつねに旅人が坐るのを待っている。旅人がそう思えるなら玉座なのだ。
 
 crawflwyn
ベズゲラート駅  ウェルシュ・ハイランド鉄道
ウェルシュ・ハイランド鉄道は1872年運行が開始されたが、1934年に廃業に追い込まれる。ボランティアによって復活したのは1980年。
元気よく走っているのは、アフリカのプラチナ鉱山で使われていた1953年製の蒸気機関車という。
 
ベズゲラート駅  ウェルシュ・ハイランド鉄道
ウェルシュ・ハイランド鉄道
緑色の機関車の車体に「WHR」と刻印されている。「Welsh Highland Railways」それぞれ3つの頭文字である。
蒸気機関車の多くは速度計がついていない。蒸気圧計と空気圧計のみということだ。機関士は五感でスピードを知ることができるという。
蒸気を調整することでスピードを調整し、定刻通り駅に着くかどうかは機関士の腕一本にかかっているのだ。
 
ウェルシュ・ハイランド鉄道
ウェルシュ・ハイランド鉄道
ウェルシュ・ハイランド鉄道は快適に森をぬけてゆく。さまざまな樹木が乗客をむかえる。なかには犬がほえているような木もある。
 
ウェルシュ・ハイランド鉄道
フェスティニオグ鉄道&ウェルシュ・ハイランド鉄道案内図
フェスティニオグ鉄道&ウェルシュ・ハイランド鉄道案内図
ベタニア橋
フェスティニオグ鉄道の終点フェスティニオグの西1キロ地点を流れるコンウィ川の支流に架かる橋がベタニア橋で、鉄道や車に乗って旅行者がやって来る。
車だとコンウィ城で有名なコンウィからA470を40キロ南下すれば到着。大きい駐車場をそなえている。ベズゲラートからはA4085、B4410、A496を
経由して24キロ、45分。
 
ベタニアの名がイエスがエルサレムに入る前に滞在したとされるベタニア(エルサレム近郊)にちなんでいるかどうか、不勉強な私にはわからない。
 
ベタニア橋
ティ・フント・イル・ボント(ティールーム)
スランウストはコンウィからA470、またはB5106を真南に17、5キロ行けば着く。A470を通るほうが道も広く快適だ。
どちらの道でも車がガラ空き、20分もかからない。人口は約3300人、意外と多い。橋の下はコンウィ川。
 
橋をわたってすぐ右にある蔦のからまるというより蔦ぼうぼうの建物はティ・フント・イル・ポントという名の喫茶&食事屋。
15世紀の建物というから、橋より200年古い。橋は当時の工法としては斬新で、石と石を鉄でとめている。
1636年、イニゴー・ジョーンズ(1573−1652)という建築家が設計した。橋は車1台通るのがやっとの狭さである。
 
スランウストの町に入るにはこの橋をわたらねばならない。対向車が来たら橋の手前で待ちましょう。
 
ティ・フント・イル・ボント(ティールーム)
ティ・フント・イル・ボント
何が書いてあるのかさっぱりわからない。「TEA ROOMS&GALLERLY」と「NATINAL TRUST云々」以外は。
ティ・フント・イル・ボントは「橋の向こう側」の意。ほんにウェールズ語は難しい。
 
などと書いても、ウェールズ語に対して苦手意識はなく(ウェールズ語をマスターしようなんて気持ちはないので
苦手意識は持ちようがないのです)、この文字を見るとウェールズに来たという実感がわいてくる。
 
ティ・フント・イル・ボント
ティ・フント・イル・ボント Tu Hwnt i'r Bont
1480年に民家として建造され、わずか数年後、裁判所として使われたという。荒廃に次ぐ荒廃をへて、町が何度も修復を施し、
最終的にナショナル・トラストが購入した。
 
ティ・フント・イル・ボント Tu Hwnt i'r Bont
ティ・フント・イル・ボント Tu Hwnt i'r Bont
メニューは各種サンドイッチ、各種サラダ、スコーン、アラカルト。スランウストの名物喫茶&レストランである。月によって営業日は変わる。
営業時間は10:30ー17:00。夕食は供されない。内部は英国の有名パブでおなじみのクラシック調。特にここは古色蒼然。味は可もなく不可もなく。
 
 ティ・フント・イル・ボント Tu Hwnt i'r Bont
名もない小さな池
こういう場所にテントをはるのは、水の妖精があらわれる夜を待つ人にちがいない。運わるく通りがかりの人間に秘めた目的を見透かされ、
機嫌をそこねた妖精はあらわれないかもしれない。そんなことを考え、油を売っている人も足下の明るいうちに帰りなさい。
 
名もない小さな池
ティン・フント・イル・ボント(ティー・ルーム)
以下は2016年10月下旬に撮影した画像。
 
ティン・フント・イル・ボント(ティー・ルーム)
ティン・フント・イル・ボント(ティー・ルーム)
秋の深まるスノードニアは初夏とは異なる格別の雰囲気につつまれている。日中はともかく、朝夕の冷え込みが身体にこたえるけれど。
 
ティン・フント・イル・ボント(ティー・ルーム)
ボドナント・ガーデン
 
スノードニア国立公園にあってボドナント・ガーデンの敷地面積80エーカー(約10万坪)はそれほど広いと感じないが、それでもほかの
庭園と比較すれば広大。初夏のボドナント・ガーデンは下のバナー「North Wales」で紹介。
 
ボドナント・ガーデン
ボドナント・ガーデン
 
いいところにいいぐあいのベンチが。しかしじっと腰かけていると、下からじわじわ寒気が押しよせる。長話するには按配がよくない。
 
ボドナント・ガーデン
ボドナント・ガーデン
ボドナント・ガーデン
ボドナント・ガーデン
 
日本の紅葉風景と変わらない落葉。空気感だけが北海道の秋を想起させる。
 
ボドナント・ガーデン
ボドナント・ガーデン
ボドナント・ガーデン
ボドナント・ガーデン
英国に紅葉見物の習慣のなかった19世紀。ボドナント・ガーデンが創設された1874年の
時点では牧草地と芝生だけの庭で、その後針葉樹が植えられ、広葉樹が植えられたのは
20世紀に入ってからだという。紅葉見学が始まったのは20世紀。
 
ボドナント・ガーデン

Last updated: 2024/3/31