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コルド・シュル・シェルを一望する丘にのぼって街の全容をみる。
感動が身体のすみずみまでゆきわたり魂を震撼させた1999年秋。
コルドはあの日から心の風景となった。
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眠りからさめようとするコルド。初秋の空気は凛としている。
心の風景は再訪しなくてもいつでも存在する。両親や最愛の人が死後も常にそばにいてくれるように。
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アルビからD600を北西に25キロ行くと忽然と街があらわれる。
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カタリ派の戦いのさなか、教皇庁によって街ごと破壊されたコルドは、
その後疫病の流行もあって荒廃につぐ荒廃をかさねる。
13世紀のことである。
見る影もなかった街は1940年代になって復旧作業が始まった。
13世紀に造られた城壁、門などが修復されたのは、往時の状態を
どうにか保っていたことによるという。
コルドの一番高いところにある教会から打ち鳴らされる鐘の音は、
石の民家をかけめぐり、城門をくだって、丘をわたる風になる。
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「キリスト教の異端とされたカタリ派が南仏に広まり、異端鎮圧を
口実として北フランスの諸侯がアルビジョワ十字軍を組織し攻略を
図ったとき、これに対抗してレーモン7世が建設した軍事都市こそ
コルドであった。」(木村尚三郎「中世の街角で」)
アルベール・カミュはコルドについて次のように言っている。
「そこでは、すべてのものが美しい。悲しみでさえ。」
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コルドのメインストリートはその名もグラン・リュ(大通り)一本。
ここから車用に二つに分かれる。向かって左が登り用一方通行。
右は下り用一方通行。城壁沿いに楕円状の側道がある。
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小さな街だから全容をつかみやすい。親近感がわく。
よく知るということが旅を豊かにする。
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ホテル「グラン・エキュイエ」GRAND ECUYERの営業期間は5月中旬〜10中旬。レストランの食事も美味。
Grand Ecuyer=大厩番の意。レーモン7世の居館であったという。
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街のあちこちに城門がある。街の規模を鑑みると、コルドの城門の多さはヨーロッパ随一といえるだろう。
だがそれゆえにコルドを中性色の濃い街にしている。
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コルドの魔力にさそわれて旅人はやって来る。
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夜のとばりが降りる前、寂寞たる空と街の色がなんともいえない。
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街路からみる夜の画廊。独特の雰囲気。
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季節によって光の明るさは異なる。
7月の光量は9月〜10月に較べて格段に多い。
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街はそれぞれの歴史にふちどられている。
旅人は歴史とともに歩いているわけではないだろう。
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旅人は自らの記憶とともに歩く。
感動は心の風景となって生きている。
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コルドはフォアグラ(Foie Gras)料理が盛ん。フォアグラのソイソース炒めはいける。醤油とフォアグラの相性は抜群。吊しているのはニンニクです。
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崩れかかった壁でさえ美しい。いや、そうではない、崩れかかっているから美しいのだ。
どの城門に入るかによって人は異なる人生を歩む。だが人生を俯瞰する場所まで来れば、どの城門をくぐっても変わらない運命を見る。
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布織物で明らかなように時代を問わず大道芸人はいた。
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コルドの中世フェスティバルは毎年7月中旬に開催される。
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兵士の行進が終わるとストリート・パフォーマンスが始まる。
行列に参加しているのだけれど我を忘れて見とれる少女。
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中世祭りのアトラクションは多岐にわたる。騎士や十字軍の行進、
寸劇、ダンサーの踊り‥‥
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レーモン7世かこんな容姿だったかどうかはともかく。
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中世の装束をまとった人々はテントで着替えを。
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ジプシーと呼ばれていた人々は、いつのころからかロマと呼ぶように
なった。この方たち、ロマではないけれど。
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子どもおとなの別なくウケるのはこれです。
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だれに教わったのか、どんな作品ができるのやら。
男の子はなんとなく不満気。
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おそらく数世紀後も変わらないであろう街並み。
数世代先の旅人も同じ風景をみることのすばらしさ。
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彫刻や絵画を専攻しているようにもみえる繊細な感じの女子。
大理石にも勝る透きとおる肌の若い女性がたたずんでいた。
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正面の小高い丘まで歩き、丘の頂上からコルドの全景を撮影した。
なだらかな丘陵地をぼんやりながめていると、肩の力がぬけて心身ともに解放感に満たされる。
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夜の闇を駆けぬけると、朝の生まれる場所に朝霧がたちこめている。
霧なのに雲海に浮かんでいるようにみえる。こういう風景と出会うために生かされてきたのかもしれない。
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湖底に沈んでいるようにみえる。浮かび上がるようにもみえる。
沈んでいるか浮かんでいるかはたいした違いではない。この世は浮き
沈みのくり返しである。人生は美しくあるべきだ。旅がそう語っている。
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