サント・フォワ修道院
ロット川支流のドゥルドゥー(Dourdou)渓谷の急斜面に屹立するかのごとくたたずむコンク村。
人口約360人ほどの小さな村の象徴が中世からの巡礼地サント・フォワ修道院。ロマネスク様式の厳かな三つの塔。
サント・フォワ修道院
サント・フォワ修道院
サント・フォワ=聖女フォワは303年、コンクの約150キロ南西・アジャンで殉教した。時に12歳。
フォワの遺骨は当初アジャンのライバル修道院に保管されていたが、9世紀にコンクの修道士が遺骨を盗んだのだ。
盗みにいたる経緯はこうである。コンクの修道士は巡礼を装ってアジャンに赴き、10年間住んで人間関係を築いた後、
聖遺物守護役におさまり、遺骨の入った聖骨箱をまんまと盗んで逃亡したのであった。
サント・フォワ修道院
サント・フォワ修道院 東端
聖女フォワの殉教は、一説によるとローマの神々に祈りを捧げることを拒否して捕らえられ、改宗か死かの選択を
迫られたとき、自分のすべてはキリストの御心のままにとこたえたがゆえと伝えられている。
フォワの死を303年に特定したのは、ディオクレティアヌス帝の迫害が始まった年、紀元303年に由来する。
修道院正面の裏側の東端は三層になっている。
サント・フォワ修道院 東端
修道院東端 三つの礼拝堂
三つの礼拝堂はそれぞれミサ用の予備祭壇となるように建てられた
修道院東端 三つの礼拝堂
修道院
司祭を院外でみかけるのはめずらしいことではないけれど
修道院
民家と修道院
修道院の屋根も民家の屋根も同じスレートで葺いてある
民家と修道院
修道院
修道院
サント・フォワ修道院
どこから見ても絵になる
サント・フォワ修道院
サント・フォワ修道院 正面
正面のアーチには最後の審判や地獄をあらわす彫刻群が刻まれた半円形壁がある
サント・フォワ修道院 正面
半円形壁(タンパン)
人気の少なくなったころを見計らって造形美術をみにくる。同好の士なのだ。
半円形壁(タンパン)
半円形壁(タンパン)
三層のタンパン。1135体の彫刻は中世(12世紀)彫刻の最高傑作という評価もある。二層目中央は最後の晩餐を想起させる。
下(三段目)中央左は天国、右は地獄ということだ。
 
半円形壁(タンパン)
タンパン
敬虔な信者だけが天国に招かれるという信仰
タンパン
淫乱と守銭
中央の悪魔は左の男女(淫乱の罪を犯した)に、右の吊された男(守銭の罪)に罰をあたえ苦しめている。
かつて淫乱と守銭は最も忌み嫌われた。
淫乱と守銭
地獄の口
地獄の口を象徴するレヴィアタンが大きく口をあけて罪人を飲み込もうとしている。
饗庭孝男は自著「ヨーロッパ中世の旅」に「言語的媒介が少なかった中世では、このようにして彫刻的言語によって
文盲の大衆にキリスト教の教義を絵解きしたのである」と記している。
地獄の口
聖女フォワと神の手
聖女フォワが右手のみで象徴されるキリストを拝している。「出エジプト記」の「汝はわが顔を見るにあたわず」に依る彫刻。
聖女フォワと神の手
柱頭彫刻
柱頭彫刻
柱頭彫刻
グレコ・ローマの造形美術を連想させる様式
柱頭彫刻
修道院 宝物庫
宝物庫の回廊には再建造された広場がある。かつて巡礼者の宿泊所となっていたという。
修道院 宝物庫
修道院内部
ロマネスク様式はゴシック様式に較べて窓の面積は小さく、採光量も少ないが、いかにも中世の雰囲気を保っている。
内部は1050年から1135年にかけて造られた。その三層アーチは250の柱頭彫刻によって装飾されている。
修道院内部
修道院内陣
キリスト教の祭儀で最も神聖とされるミサの様式がほぼ定まったのは10世紀という。
「感謝の儀式」(エウカリスティア)、「聖体拝領」、「主の晩餐」を記念する儀式などは
ほかの聖務と区別され、聖体拝領すなわち司祭がパンとぶどう酒をキリストの身体と血に
なぞらえ、信者に与えることを記した「ミサ典書」は10世紀に草稿された。
修道院内陣
11世紀、カペー家の王たちはパリを中心とするイル・ド・フランスの小領主にすぎなかったのに、神聖ローマ帝国が
徐々に権力を失いつつある12世紀、ルイ6世(在位1108−37)以後フランスの領土は拡大の一途をたどる。
人口の急増、重要な領土の獲得(特に南部)、都市の成長に助けられたといえる。
後述するように、コンクの世紀(11−13世紀)は特に12世紀に傑出するが、これもルイ7世(在位1137−80)が
長きにわたってフランスに平穏をもたらしたこと、第2回十字軍に参加する貴族を先導したこと、サンチャゴ・デ・コンポステラ
への私的巡礼の旅にでたことと、コンクの修道院の隆盛は無関係ではないだろう。
コンク散策
コンク散策
コンク散策
コンク散策
コンク散策
コンク散策
散策
散策
散策
散策
ハイカー
トレッキング・シューズをはきかえ、ピッケルをたたみ、修道院へ入ろうとしている女性。
リュックサックの貝殻が巡礼者のあかしである。
ハイカー
民家
民家
民家
民家
レストラン
レストラン
ドゥルドゥー川
ドゥルドゥー川はロット川の支流。ここから村まで一気に急斜面となる。川沿いに「エルヴェ・ビュッセ」というレストラン&ホテルがある。
店名はオーナーシェフの名で1Fがレストラン、2Fが客室。外観は中世、室内は現代。2012年夏時点、2食付きツイン2名で6万円弱。
ドゥルドゥー川
石段
いまにも崩れそうな石段にもわずかな補修のあとがみえる
石段
民家
民家
サント・フォワ修道院
「11世紀から13世紀にかけてがコンクの世紀であった」と木村尚三郎は「中世の街角で」に記している。
「フランス各地からサンチャゴ・デ・コンポステラへ向かう巡礼のひとつがル・ピュイからコンクへ、そしてコンク
からモワサックへと、苦難の道をたどりながら南下していった。」
サント・フォワ修道院
コンク村
コンク村