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コニストン湖(Coniston Water)の遊覧船からのぞむジョン・ラスキンの家。
湖上からは家の全容だけでなく家の裏がうっそうとした森(Grizedale Forest)であることがよくわかる。
森は湖水地方の美しい景観に欠かせない。
家は湖面から18メートルくらい上の斜面にあり、棟続き構造になっていて、
手入れの行き届いた裏庭もそなえている。右端は付属のロッジ。
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窓が多く、どの部屋も明るい。窓からの眺望は、コニストン湖が見えたり森が見えたり、
庭や小道、駐車スペースが見えたりと、しかるべき配慮がなされている。
ハウスの背後は広大な森(Grizedale Forest Park)、建築物はない。
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湖水地方のなかでもコニストンはそれほど有名ではないし、ブラントウッド・ハウスも
観光ルートからはずれているせいか、観光客はまばら。そこがいい。
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それでも車が数台駐めてありました。
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ラスキン(1819−1900)と画家ターナー(1775−1851)の交流はよく知られている。
ラスキンが美術評論を手がけたのは、ターナーの絵画を擁護するエッセイを執筆したことからであるという。
映画「ターナー 光りに愛を求めて」(2014 英独仏合作)に若かりしころのジョン・ラスキンが出ており、
ターナーの画を好意的に評し買い求めるシーンや、書斎でターナーらと懇談するシーンが登場する。
費用を出すのはラスキンの父(資産家)であるが、ラスキンの美術評論が正鵠を射ておもしろい。
ターナーを演じたのは英国の脇役俳優ティモシー・スポール。
特に印象に残ったのはターナーのメイド役ドロシー・アトキンソン。演技を感じさせず秀逸。
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部屋によっては東西、北の三方に窓がある。19世紀に活躍したラスキンが採光を重視したか
どうかわからないとして、ハウスの部屋は明るい。
もしかしたら採光云々ではなく、湖水地方の天候と密接に関係しているのかもしれない。
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湖水地方全般にいえることは、夏でも涼しく、冬も厳寒に至らない穏やかな気候であるが、
雨は多く、天候はめまぐるしく変化する。
雨雲あらわれること鬼神の如く、アッという間に雨が落ちてくる。近年、日本の気象予報士の予報は大ハズレ。
夏は毎日「晴時々雨」と予報してもだいじょうぶ。経験の浅い予報士は湖水地方で天気予報をおこなうべし。
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ジョン・ラスキンが81歳でなくなるまでの28年間過ごした。
シェリー酒の販売で財をなした父親はひとりっ子のラスキンを伴って旅に出ることが多く、
旅は2ヶ月、ときおり1年半に及んだという。湖水地方への旅は5歳〜19歳まで5回。
名著「イギリス 歴史の旅」の高橋哲雄は、『彼が世に出たのは美術評論家としてで(中略)、
ヴィクトリア時代で並ぶもののない影響力ある評論家となった。
クェンティン・ベルは彼を「美術評論を一流の散文形式にした最初のイギリス人」と言い、
「我々の祖父たちは汽車の便を探すのに鉄道旅行案内書を開くように、美術に関しては
ラスキンを頼りにした」と述べている。』
(出淵敬子訳「ラスキン」)
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「イギリス 歴史の旅」によると、ラスキンがオックスフォードで美術講座の教授だったころ
の弟子ハードウィック・ローンズリーは、湖水地方ケズィックからスレート鉱山までの
鉄道建設計画案を採石業者が議会に提出したとき、新聞投稿で論陣を張り、
抗議運動がはじまった。
ラスキンは抗議文に署名したものの、湖水地方は自らの美しさが命とりになるというものであった。
しかし、彼はまちがっていた。
そのころ1883年当時、ロンドン近郊の景観を守るための鉄道建設反対運動もはじまっていて、
歩調を合わせるかのように反対の声があがった。鉄道敷設を許可するのは、ナショナル・ギャラリー
の額縁から絵を取り出してタオルに使うのを許可するのと同じだといった議論が相次いだ。
まことに英国らしい物言いである。
むろん、すべての計画案は撤回された。
ローンズリーはその後、湖水地方の地主と山間部自由通行の権利確保について争うこととなる。
美しい山や谷を歩く旅人のなかには心ない者もいる。地主が憤慨するのも一理ある。
ではどうすればいいのか。自らが地主になるしかない、その上で土地を開放するしかない。
こうして1895年ナショナル・トラストは生まれた。
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コニストンは人口970人の村。コニストン湖は南北に細長く、対岸(東)にブラントウッド・ハウスがある。
ラスキンは確かな影響力を持っている。オックスフォードにラスキン・カレッジ(1899年設立)があるし、
漱石の三四郎にラスキンの名が出てくる。
白樺派に影響を与えたし、藤村は当時東京にあったラスキン協会の月刊誌に一文を寄稿。
没後100年回顧展がロンドンほかでおこなわれ、ラスキンの名はよみがえる。
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背後はオールドマンという名の岩山。樹木が少なくはげ山。標高は約800メートル。
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2004年ごろからファーム・ステイにあこがれている。しかし多くは自炊なので決断が鈍る。
敷地内のコテージやロッジを宿泊用、母家を滞在客の朝食用と振り分けている農家がいいなと思ってしまう。
B&Bとちがって料金は格安、寝室のほかに部屋があるので使い勝手は上々、5日以上の滞在ならさらに割安。
ところが上のファームは1Fの台所を共同使用せねばならないところが難(このファームは最大3組滞在可)。
運よくほかに滞在者がいなければ好都合だが、夏期はそうもいかない。コニストンには安いB&Bは多く、
安くて快適なB&Bは少ないから、ファーム・ステイは選択肢のひとつであるけれど。
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で結局コニストンに泊まるとなると、こんなふうなホテルが有力な選択肢となる。
特別プラン(2泊以上)を利用すれば、朝食&夕食付&Lake Side View、「日〜木」泊で1人1泊70ポンド。
「金〜土」泊は75ポンド。月〜木に2人で2泊すると合計280ポンド(税サ込み 2014年7月現在)。
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英国旅行の楽しみのひとつは、安価で良質、行き届いたもてなしをするB&Bを探すこと。
コニストンの典型的なB&B「The Sun」の1Fは知る人ぞ知る料理のうまいパブ。
2Fの客室は外観から想像できない粋な内装。村の高台に位置し見晴らしもいい。
旅は個人旅行に限る。宿、食事、ルート、行動時間、ルート変更など一切合切が思いのまま、
自分の好みによっていかようにも選択し、計画を立てることができる。
私のように朝も夜も弱いタイプは、特別の何かがある場合を除いて早朝の出発は論外、
午前9時ごろ朝食のテーブルにつき、10時過ぎに行動を開始。明るいうちに観光をすませ、
黄昏時は撮影スポットで待機。知らない土地での夜間運転は避ける。
自分のペースを崩さず、ゆるやかな日程を保ってきたから概ね快適な旅を続けられたと思う。
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コニストンから北東へ11キロ行くとアンブルサイド。人口は約3100人。
グラスミアに較べて規模の大きい宿が多い。
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ブリッジハウスはアンブルサイドの観光案内所。ナショナルトラストが所有している。
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CINEMAの看板が掲げられている。何席くらいあるのだろう。
確かめようとしたが、歩き回っているうちに忘れてしまった。
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アンブルサイドにしてもグラスミアにしても規模は小さく全容をつかみやすいので街歩きにはもってこい。
数日の滞在で親近感がわいてくる。
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アンブルサイドの北西7キロ弱がグラスミア。途中、進行方向左にライダル湖、ついでグラスミア湖をのぞめる。
ライダル湖もグラスミア湖も小さな湖だ。
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グラスミアはコニストンに較べて観光客の数が多い。
7〜8月の人間の数は住民の何倍にもふくれあがる。
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さまざまなところからさまざまな人たちがやって来る。
何ものにもかえがたいのは、ともに行動したこと、ともに旅したことである。
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お茶とおしゃべりに夢中になって、いつのまにか川のせせらぎの音は消えていた。
川べりのレストラン&カフェはグラスミアに数軒ある。
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石橋の上から撮影していることがわかるでしょう。
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これでもストーン・ブリッジという名の橋。
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デイルロッジという朝食のうまいことで評判の宿。聞くところによれば夕食もいけるらしい。
料理人が替わればどうなるのか。
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町のそこかしこにフットパスの標識が立っている。湖水地方はどこでも歩かなければ魅力が伝わらない。
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グラスミアからイーズデイル道を北西にイーズデイル・ターン(Tarn=山中の小湖)まで約4キロの行程。
そこから歩を進めるかどうかはハイカー次第。
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ぱったり人どおりはの絶える時間。静謐のとき。
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ケズィックからB5289を南下し、さらに北上し、バタミア湖、次いでクラモック湖を左にみやり、
ロートン盆地を抜ければコッカマスである。
コッカマス直行ならB5292を西進すれば走行距離は半分以下だが、そうなるとバタミア&クラモック両湖は
おろかダーウェント湖さえ見えない。(ダーウェント湖は「湖水地方」を参照してください)
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コックロック(CockRock)は7月半ばコッカマス(Cockermouth)で2004年以来おこなわれている
ロック・グループのコンサート。
ほとんどがアマチュアバンドで、500〜600のバンドグループのなかから予選を通過した120〜135のバンドが出場。
フェスティバルの期間は3日間、出演者は自前の楽団をともなって歌い、最優秀賞として10000ポンドが用意される。
見物人は見料を支払う(数ヶ月前ネット予約がはじまる)。2009年の見料は平日15ポンド、週末30ポンドだったが、
2014年には平日週末の別なく50ポンド。チャリティは期間中32200ポンド集まり寄付された。
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会場は野外ステージなので、7月でも曇ったりするとうすら寒い。
湖水地方の天候は前にも述べたように毎日が曇りのち晴れ一時雨。
ステージに立つミュージシャン以外はそれなりの用意が要る。
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ステージの休憩時間にあらわれる大道芸人。
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コッカマス城はノルマン人によって1134年に建てられたという。13〜14世紀に建て増しがあり、
バラ戦争(1455−1485)で重要な役目を果たしたが、1648年清教徒革命後、解体され荒廃する。
城は通常非公開。7月のコッカマス祭のとき一般公開される。
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独特の意匠
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コッカマス教会からの眺望
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コッカマスの人口は約7500人。町としては少なすぎず多すぎずという按配。湖水地方としてはそれでも多いほう。
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ダーウェント河の流れはワーズワースの生家裏手の庭へと続いている。
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コッカマスにはワーズワース(1770−1850)の妹ドロシーと幼年期をともに過ごした生家がある。
ケンブリッジ大卒業の1791年フランスに渡ったワーズワースは、6歳年上のアネット・ヴァロン(閨でフランス語を伝授)
と同衾し、1792年に女児をもうけるが、母子(アネットの実家は王党派の名門)を残して帰国。
その9年後、幼なじみのメアリ・ハッチンスンとの結婚をひかえて渡仏、アネットと娘に会った。
(ワーズワースとアネット母娘との交流は1812年に再開した)
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ワーズワース生家の各部屋は往時と同じように再現されている。食卓に並んでいるのは
ワーズワースの好物ということになっていて、流行詩人の収入の高さをうかがい知ることができる。
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フランス革命直後に渡仏したせいかどうか、ナポレオンの対外侵略に失望したにもかかわらず、
ワーズワースはこのような帽子を好んだとみえる。
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湖上遊覧船。これに乗ると陸地からはのぞめない景色を堪能できる。
急な雨も屋根付なのでだいじょうぶ。
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ご当地ビール「レイクランド・ラーガー」(英国人はラガーと言わずラーガーと伸ばす)は美味。
黒ビールは別として英国でビールを注文する場合、ラーガーをたのめば当たり外れなし。
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変化に富むアルズ湖は四方を樹林と低い山に囲まれ、ところどころに点在する牧草地と
古い民家を小高い丘から一望できる。
湖の入江はやさしいまでにまろやかで、幽かな風にさえ震える水面は空と雲を、時には霧を友にする。
時間は瞬く間に過ぎてゆく。
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長靴なんかはいちゃって準備万端。勝負服のようにも見える上下。
湖に入ると低い位置からの撮影も可能。
だが、三脚を湖内に据えると不安定なので手持ち撮影にならざるをえない。
思うような写真が撮れたことは上向きのあご、満面の笑みを見ればわかります。
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このあたりはドライブすべからず。いや、このあたりに限らずドライブすべからずというべきか。
道が細いので対向車が来たら困るからではありません、周りの景色を見ながら歩くべし、なのです。
夏の空にちぎれ雲がかかり、小道の先に森が広がり、そのまた先に楽々登れそうな山がある。
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季節と時刻、場所によって風景はさまざまな顔を持つ。このあたりから見ると、とんがっているのは石なのに、
風景がとんがっているようにも見える。
石のすきまから見える森は湖にうす暗い影を落とす。おそらくは太古以来変わらない風景であるだろう。
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空気は乾燥している、気温22℃でも体感気温は低い。
トレッキング人口の3分の2は中高年。米独豪の旅人もいたりして、英国人はさっそうと登ってくる。
湖水地方でよく見かけるのは子ども。5人に1人はいる。子どもの多くは長い時間を経て再び登る。
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このあたりの気温は15℃以下、おそらく12℃くらい。
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アルズ湖西部の小道に沿うように流れ落ちるエアラ滝。落差は20メートルくらいで平凡。
岩めがけて当たる音の激しさ、落下する水の勢いに生命力を感じる。
滝のすぐ上から見ることのできるのも魅力。
ストッキングを脱いで、ていねいに床に置いたような形のアルズ湖の南西、
足でいうとくるぶしのあたりにエアラ滝はある。
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聖書の次に読まれているシェイクスピア。旅行書、ガーデニング書などにまじって
シェイクスピア関連の書が置いてあった。
陳腐にみえるものでも、配色の妙は撮影の対象になる。
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フットパスの案内標識。まだ新しい。
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湖水地方の山々で標高800メートルを越す山は少ない。
山頂まで行かずとも眼下に広がる風景を見て下山しても気分爽快。
このあたりで標高300メートル弱、夏でも涼しいのがさらに涼しく、出そうになる汗も引く。
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いつかはと思いつつ、いまだ果たしていないパラグライダー。
鳥になった気分を味わえるなら着地に失敗して骨の一本や二本‥‥
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カースルリグのストーンサークルは48個の石が輪になって並ぶBC3200ごろと推定される遺跡。
直径は約30メートル。ここに来る人は遺跡だけでなく周囲のすばらしい眺望を楽しむ。
ケズィックの東6キロに位置する。
カースルリグ・ストーン・サークルは英国のストーンサークルとしては最古という。
1913年、ナショナルトラストが購入した。
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ラングデイルの頂はさほど高くない、わずか780メートルだ。なのに高く見える。
切り立った二つの頂の真下は深く刻まれたしわが縦に走っている。
雲のすきまから射す光が波状の影をつくる。光と影は波のうねりのように移動する、
雲を引き連れて。山は動いていない、だが動いている。それで高く見えるのだろうか。
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心安らかな黄昏を迎えるために欠かせないのは緑の丘である。
動物と妖精しか入れない森もステキだけれど、人間が歩き、安息するためのスペースがあって、
静けさ、ほどのよい活気と翳り、そして少々のご馳走をもたらしてくれるところ。
そんな場所が緑の丘なのである。一日の終わりには、安くておいしいハウス・ワイン、
または、よく冷えたラーガービールを。
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