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ブルゴーニュ地方ディジョンからA38(途中からD905)を北西に82キロ進むと人口4200人の小さな町スミュール・アン・オーソワに着く。
ブルゴーニュの名は5世紀にバルチック沿岸から移動してきたブルグンド族に由来する。
909年に端を発するクリュニー修道会の修道院制度はヨーロッパを席巻せんばかりの勢いで広がり、村落単位で教区がつくられ、それが
サンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼を組織する上で役に立った。14〜15世紀、ブルゴーニュ公国はフランスと対立し、ネーデルラント、
フランドル地方も支配したという。ブルゴーニュ公国宮廷の華麗さはは1477年、王女マリアとハプスブルク家のマクシミリアン1世との婚姻
によってオーストリアにもたらされ、さらに彼らの娘マルガレーテがスペインに嫁いだことでスペインにまで伝播した。
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