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あれから5年、シシングハースト・カースルを再訪したのはイングランドがひときわ輝く2016年6月半ばだった。
シシングハースト・カースルへの行き方は何通りかあり、ライに泊まりたいし、ライからA268を経由しA229を北上、
A262を進むドライブの快適さが忘れられず、結局同じ行程をたどる。
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| オースト・ハウス |
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「シシングハースト」(最下部のバナー)でも紹介したが、オースト・ハウスは醸造用ホップを乾燥させる建屋。
屋内にある窯で木または木炭を燃やして、摘みたての新鮮なホップを乾燥させる。
そういう役目をになっていたオースト・ハウスもいまや居宅となっているか、状態がよければ記念館として保存されている。
オースト・ハウスの右側はレストランとなっている。
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4階建ての門塔(下の画像)の4階からの眺め。
シシングハースト・カースルが初めて一般公開されたのは1938年、ナショナル・トラストが所有したのは1967年。
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4階建ての門塔にあるヴイタの書斎にはヴァージニア・ウルフとレナード・ウルフ夫妻が
使った印刷機が置かれ、その印刷機で彼らは自前の出版社「ホーガス・プレス」版
詩集「荒地」(TS・エリオット)を印刷したという。
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| ホワイト・ガーデン |
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シシングハーストの庭のなかで最も有名なのがホワイト・ガーデン。毎年ここをめざして多くの人々がやって来る。
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| ホワイト・ガーデン |
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ホワイト・ガーデンはヴィタ&ハロルド夫妻が1930−40年代に造りあげた。ここをガーデニングの聖地と讃える人もいる。
ヴィタは、「単色の花壇をつくったらおもしろいだろう。来夏の夕暮れには蒼白い花壇の上を
大きく幽霊のようなメンフクロウが音もなく滑空してくれるよう願わずにはいられない」と述べている。
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| ホワイト・ガーデン |
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| ホワイト・ガーデン |
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| ホワイト・ガーデン |
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| イエロー・エリア |
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イエロー・エリアにはサウスコテージと呼ばれる田舎風の一軒(画像右)がある。
ヴィタはここで読書と執筆にいそしんだ。日中は庭の手入れ、夜は執筆に明け暮れる毎日。
ヴィタにどれほど豊かな果実をもたらしたことだろう。
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| イエロー・エリア |
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| アイリス |
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西洋カキツバタと思うけれど、時季的にすこしおそい気もして。調べようと思いながら調べておらず。
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| ウォール・ガーデン |
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| ウォール・ガーデン |
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ウォール・ガーデンにはハーブが多く植えられ、ハーブ・ガーデンの呼び名もある。
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| ウォール・ガーデン |
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カモミールのベンチに来ると、以前と同じようにカモミールが座面に植えられていた。
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| スティルト・ガーデン |
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スティルト(Stilt)は竹馬。コッツウォルズのヒドコート・マナー・ガーデンには立派な
スティルト・ガーデンがつくられている。木々の下半分を刈り取り、上半分を整えたようす
が竹馬に乗る人のようにみえることから命名された。
シシングハーストもアメリカシデを刈り込む意匠。
ヴィタはヒドコート・マナーの庭を高く評価しており、シシングハーストにもヒドコート・マナー
の特長である小空間の庭という考え方を取り入れている。
ヴィタはヒドコート・マナー・ガーデンを「イングランドの西半分で最も美しい庭」といっている。
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| プラム |
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ヴィタが取り入れたのは小空間の庭という考えだけではない、自然の構成要件である多様性、
不規則、野生といった概念を生かした庭づくりをこころがけているのだ。
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| ヴィタの部屋 |
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| ヴィタの肖像画 |
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| ティールーム |
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この時期、晴天なら室内の喫茶室より屋外。
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| 四阿あるいはフォリー |
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「四阿(あずまや)=ガゼボ」と「フォリー=Folly」の区別の講釈はともかく、モノの本には
シシングハーストのこの建物をフォリーと記しているものもある。
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