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グレート・ディクスターへはライからA268を西北西へ13キロ進んでA28を南下するか、A268を10キロ進んでB2088を左折、
ノーシャムでA28を2.5キロ北北西に進路をとるか、いずれも甲乙つけがたい行程16キロの快適なドライブ。
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エントランスを抜けるとマナーハウスの正面入口がみえる。
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木組みのハウスは1464年に増築され、その規模は英国最大級であるという。木組みはオーク材を使っている。
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屋根上の一風変わった白い造形物はホップ乾燥場のシンボルで、主にケント州とサセックス州にみられるオースト・ハウスは
醸造用のホップ乾燥の建屋である。屋内の床に拵えた窯で木または木炭を燃やし、摘みたての新鮮なホップを乾燥させる。
エドウィン・ラッチェンス、そしてオースト・ハウスはシシングハースト・カースルにも関連項目がある。
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裏方の作業を見るのは庭園観賞の楽しみの一つ。
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Sunken Garden とは周囲より低い位置につくられた庭園、あるいは、周りにテラスのある庭園というほどの意。(ハウス北側)
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18個の四角錐台にピーコックが乗っているが、とうてい孔雀には見えない。何に見えるかはお任せということだ。台は高さもあって立派。
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ガートルード・ジーキルの提唱した自然と自生植物を前面に打ち出す作庭はクリストファー母子に影響を及ぼす。
ジーキルは同時に絵画の色彩法を取り入れた造園、すなわち四季によって空気と色が変化するというテーマを
庭づくりに実践していく。それがイングリッシュガーデンの原型となった。
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みてのとおり多彩な絵はがき。ギフトショップにも力をそそいでいることがわかります。
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目玉はトートバッグ。20ポンンド何某の対価に見合うのは、帰国後これを持って街中を歩くと女性の目を惹くということでしょう。
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以前はニワトリ小屋。壁をぶち抜いて風通しをよくした。周りはツルバラや灌木が植えられている。
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ロング・ボーダーに戻る地点にサークルを3個組み合わせた石段がある。
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グレート・ディクスターの外からマナーハウスをのぞむ。
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ライとウィンチェルシーの間にあるキャンバー・カースルはヘンリー8世治下の1539年に建設が始まった。
当時、スペインとフランスは侮りがたい敵対国で、イングランド南海岸警護の砦を建造することが焦眉の急であった。
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荒廃に身を任せていたキャンバー城は1969ー1975に大がかりな修復工事にかかったが、レンガと壁の修理に
膨大な時間を費やし、結局、工事が完了したのは1995年。石灰モルタルを巧みに使い、見事な修復を遂げる。
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7月〜9月の土・日曜14:00〜17:00のみ内部見学可。ふだんは閉鎖されている。ガイドツアーは第一土曜のみ。
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キャンバー城からライまでひたすら歩く。快適な2キロの道のり。
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ライの人口は約3700人。かつては丘の下まで海が広がり、海運で栄華を誇った。
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丘の上の町ライ。絵に描いたように美しい町。
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14世紀開業。ライ最古参の宿。16世紀まで密輸業者のたまり場だったという。部屋数は31。
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14世紀、イングランド南東海岸の国防上の貢献によってドーヴァー、ヘイスティングスなどと共に特別五港の一つに名を連ねた。
セント・メアリー教会から見ると蛇行してライ湾にそそぐティリンガム川のようすがわかる。
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ゴーブル・ストーンというのはゴロゴロした玉砂利のことで、その名を冠した通称ゴーブル・ストーン・ストリートまである。
玉砂利はライの名物。
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ここも玉砂利
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オーク材の木組みに漆喰の壁、青い空。窓はアーツ&クラフト。
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米国作家ヘンリー・ジェイムズ(1843−1916)が1898年から1916年までの最晩年を過ごした。
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ライを心から気に入っているのは、ヘンリー・ジェイムズのほかにポール・マッカートニー。
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