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車で直接スノースヒル・マナーへ行くのもいいけれど、ブロードウェイからスノースヒル村までパブリック・フットパスを歩く。
歩行距離約3キロ。のんびり散歩気分であっという間に到着。
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フットパスを歩くとあたりまえのことながら車にも自転車にも遭遇することはない。その代わりヒツジに遭遇する。
たまには馬も見かけるけれど、彼らはたいてい木の柵の中にいる。コッツウォルズでの最大の楽しみはフットパスである。
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庭園観賞の前か後にカントリーサイドを眺めながら歩く。庭園だけみるのはもったいない風景である。
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ほうぼうに記してきたが、フットパスは英国全土に網の目のごとく張り巡らされ、総延長は英国政府試算16万9千キロ(地球4周分)になる。
スノースヒルに限ったことではなくコッツウォルズでは季節と天気がよければ、車をどこかの町の駐車場に置いて歩くに限る。
散歩中の地元の人々や旅人とすれちがうこともあり、たがいに交わす挨拶が心地よい。
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道しるべ
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マナー&ガーデン入口付近にブックショップとレストランがある。
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レストランではイングランドの家庭料理が饗される。
イングランドで昼食に適しているのは軽食。一品料理を注文すると途方もない量の一品がでてくる。
料理番の腕はおすすめとはいえない。料理ではないが自家菜園の野菜、果物なら新鮮で美味。
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この日はうすら寒かったからか、午後1時ごろの屋外テーブルはご覧の通り。
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すでに散見していたようにスノースヒル・マナーでは、ここの庭をデザインした
チャールズ・パジェット・ウエード(1883−1956)の名を冠した「ウエード・ブルー」が随所で見られる。
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遠目にみるとどの建物が母家で、どれが四阿で、もしかしたらあれは民家なのではと、一見判別しがたいのもおもしろい。
庭の多くはごらんのとおりコテージガーデンふうである。
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右のポールは中世のウィンチクーム(Winchcombe)修道院の名残。ウィンチクーム修道院は9世紀〜16世紀半ばまで25300エーカー(約102平方キロ)もの
広大な土地を所有しており、スノースヒルはその一部にすぎなかった。ヘンリー8世がイングランド国教会の首長になって修道院は破壊、財産は没収される。
現在のグロスターシャー州ウィンチクームはチェルトナム(Cheltenham=人口約91000人)の東北東14キロに位置する人口3600人の小さな町である。
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家屋2軒は小さめのハウスと物置ふう然としており、見ていてくつろげる。かつては修道士の住居であったようだ。
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昔のキッチン・ガーデンのそばにゲートが。石段を下りるとまた石段がある。斜面をうまく利用し、周囲の景観にとけ込んでいる。
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門柱などの石材はコッツウォルズ地方特産のライムストーン
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このゲートをくぐると下りがつづく。手前と奥とでは高低差がある。
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これもウエード・ブルー
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正面の造形物は天文時計
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ラテン語のようでちんぷんかんぷん。金牛宮、双子宮、磨褐宮、人馬宮などの十二宮(十二星座)が描かれている。
TARDIVSは英語のTaurus(金牛宮)だろうか。
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下の案内板に「Mr.WADE'S BEDROOM&BATHROOM UPSTAIRS」と記されている。
ウエードは1919年にスノーズヒル・マナーを購入、1920年から3年間、荒廃していたマナーハウスの復元と造園に心血を注いだ。
ナショナル・トラストに寄贈したのは1951年。屋根のひしゃげかた、設計の古さはこの家屋が14世紀ごろのものであると推測できる。
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ヘンリー8世麾下の兵に破戒されず残った建物は数えるほどしか残っていない。
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「EVOCO CUSTDEM」は「I call the guard」の意。よくはわからないが、鐘を撞けば番人が出てくるのだろうか。
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人形のこともよくわからない。
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いつかどこかで見たことのあるような懐かしい、コッツウォルズらしい風景である。
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建物の主要部分は16世紀のものだが、敷地内にはそれより古い建物もいくつかある。
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スノースヒルからスタントンへのフットパス
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スノースヒルの西2キロ強にあるコッツウォルズ屈指の美しい村・スタントン(Stanton)
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コッツウォルズ特産の石・ライムストーンで造られた民家。車が消えて人馬だけならほんとうに絵になっていた。
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上の画像の民家に咲いていたツルバラ
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