バークシャーはイングランドのなかでも面積の小さい州で、州全体の人口も約81万人と少ないが、イングランド最古の州のひとつ。
バークシャーの西部は東部に較べると田園地帯が広がっており、住民はもとより旅行者の安息の場となっている。
バークシャーで有名なのはウィンザー城であるが、城もウィンザーの町もロンドンからの日帰り観光客でごったがえし、足を運ぶ気がしない。
※ロンドン=ウィンザー間の距離は約45キロ※
ニューベリー
ニューベリー
 
バークシャーと聞いて真っ先に思い出すのは運河だ。西バークシャーの町ニューベリーにはテムズ川支流のケネット川の
運河が流れ、運河沿いの小道では朝な夕な市民が散策するすがたを見ることができる。
 
ニューベリー
ニューベリー
 
道は細いけれど人も少ない。なによりなのは自転車も観光客もいないこと。散策に最適。
 
ニューベリー
ニューベリー
 
運河の沿道は格好の散歩道。人口約3万3千人の小さな町ニューベリーには巨大通信企業ボーダフォンの本社が置かれている。
 
ニューベリー
ニューベリー
ニューベリー
ニューベリー
ニューベリー
ニューベリー
ナロウボート
ナロウボート
 
イングランドまたはウェールズの運河を航行する幅の狭い船。ナローボートという表記もある。
元来、英国につくられた運河で貨物輸送するために開発された。起源は18世紀というが、20世紀以降のナロウボートは
レジャー目的、あるいは移動する家そのものとしての用途が多い。
 
住居用としてのナロウボートは諸説あるが、おおむね、19世紀半ば以降の産業革命で鉄道が発達したために船のクルーが
水上生活をするようになり(家賃が上がったのが原因ともいわれる)、陸に住む乗組員家族と差別されたことが水上生活を
余儀なくしたともいわれる。移動生活のため子どもを学校に通わせることができず差別されたというのが実態だろう。
 
 
貨物用ナロウボートは第二次世界大戦を契機に消滅し、いまはボート生活を楽しむ人々がメディア出演している姿をみる。
 
英国の内陸水運局によって管理されているナロウボート(河川と運河を航行)の数は約2万7千艘、無免許の約5千と合わせると
3万2千のボートが水の上に浮かんでいる。修理中のボートは陸にいるけれど。
 
ティーブレイク
ティーブレイク
ケネット川&エイボン川
 ケネット川&エイボン川
 
ケネット川とエイボン川の合流地点。
 
ニューベリー
ニューベリー
ドニントン城
ドニントン城
 
ニューベリーの北北東3キロに位置するドニントン城はケネット運河からも徒歩圏内。
現存するのは4層の塔(門番が常駐していたらしい)のみ。
ドニントン城
ドニントン城
 
ドニントン村一帯は13世紀末以来、荘園領主リチャード・アバベリー卿の支配下にあり、その後ドニントン城は
イングランド王リチャード2世の所有をへて1398年にイングランド下院議長トーマス・チョーサーに売却された。
16世紀初頭にはテューダー朝の所有となり、ヘンリー8世、エリザベス1世がドニントン城を訪問したとの記録もある。
(ヘンリー8世は1539年、エリザベス1世は1568年)
 
その後1646年、清教徒革命のあおりを喰らって城は破壊され、紆余曲折をへて所有者も変わり現在に至っている。
 
キジ(オス) ドニントン城
キジ(オス) ドニントン城
 
日本の国鳥キジを日本で見ることは少ない。ヨーロッパ・コマドリやマガモ、カケスなどと共にキジをイングランドで見かけるのは、
豊かな自然が町にも残されているからだろう。そこにはキジのエサになる草の種、新芽のほかに昆虫も豊富にいる。
 
キジは飛行より歩行が得意。飛行の得意な鳥のように人間が近づいても飛んで逃げないのは、歩行が得意だからと自分で
思っているわけでもないだろう。鳥の生態に詳しくはないのに、なぜか野鳥に惹かれる。
 
ふだんはオス・メス別々に行動するが、繁殖期にメスはオスのテリトリーに出入りし、めぼしいオスに近寄ってアレを催促する。
活動するのは明るいうちで、ネグラは両方ともに木の上。
 
ドニントン城
ドニントン城
 
ドニントン城からはニューベリーの町が一望できる。
 
ドニントン城
ドニントン城
 
大規模城郭が残って見応えのある風景もあるけれど、城郭や修道院の一部が残って美しい風景もある。
スコットランドのダノッター城、イングランドノーフォーク州のカースル・エイカー修道院のように。
 
 
レディング
レディング
 
バークシャー最大の町レディングはロンドン・パディントン駅から58キロほど西に位置し、町自体が単一自治体で、人口約23万人。
喧噪のロンドンは1969年以来47年間再訪する気がせず、風光明媚なバークシャーで都会気分を味わうならレディングがいい。
 
レディング
レディング
ジェーン・オースティンの故郷はハンプシャーの小さな村スティヴントン。ハンプシャーの北に州境のあるバークシャーの
レディングではいまだにオースティン人気が高く、それはレディング(Reading)という地名のせいばかりではなく、
レディングの修道院跡近くにオースティンが10歳のころ通っていた女学校もあるからだ。
 
2008年日本で公開された「ジェーン・オースティンの読書会」という米国映画があった。これはと思うストーリー展開では
なかったとしても、映画のタイトルにふさわしい英国男優ヒュー・ダンシーと米国女優マリア・ベロの好演が光っていた。
 
レディング
レディング
よく晴れた日、こういう光景は町のそこかしこで見られる。
 
レディングには監獄があり、オスカー・ワイルド(1854−1900)が入監していたことで知られている。
ワイルドは周知の通り同性愛者で、某侯爵の息子と同性愛の関係にあったことが表沙汰になり、
侯爵を名誉毀損で訴えた。
 
しかし裁判は敗訴、おまけに同性愛行為で有罪判決をうけ、1895年から
2年間服役していた。ワイルドは出獄後パリに移住し、服役体験を「レディング監獄の唄」(1898)や、
「獄中記」(原題は「深淵より」)を発表し、パリで生涯を終えた。
 
レディング
レディング
 
特段説明の要はなく、背景と緑色の靴が効いています。
 
修道院跡  レディング
修道院跡  レディング
 
レディングの戦い(ウェセックス王エゼルレッドとその弟アルフレッド(エゼルレッドの死後王位を継承=アルフレッド大王=が
デーン人と戦った)のあった871年、レディングの名は表舞台に登場する。
 
11世紀後半になると多くの人々がレディングに住みつき、12世紀には修道院も建てられ、レディングは発展するが、
16世紀ヘンリー8世により修道院は破壊され、さらに17世紀の清教徒革命以降19世紀末までレディングは荒廃する。
12世紀建造の修道院跡は往時の栄華の片鱗である。
 
 
 
ホワイト・ホース
ホワイト・ホース
 
スウィンドンの東15キロに位置するアフィントンのホワイトホースはホワイトホース・ヒルの中腹に白砂で描かれた110メートルの造形物。
アフィントン村から南へ4キロ。付近に丘陵を見下ろす場所はないので、全体像を撮影するには気球やパラグライダーから撮るしかない。
 
丘陵の下に小さな丘陵がいくつもあって、近辺に住んでいれば、雨の日をのぞいて頻繁にウォーキングできるステキなところ。
 
※ニューベリーからだとB4000を車でのんびり50分(35キロ)走れば到着※
白馬の全体像
白馬の全体像
 
↑ おおよそこんなふうになっています ↑
 
ホワイトホースはアルフレッド大王(849−899)にちなんだものとされているが、もっと古い時代につくられていたとする説もある。
さらに時代が下って、ウェセックスの農民らがさまざまな場所の複数の丘につくって現在に至るという。
 
なお、この近辺にはスウィンドンの南西に2つ、モルバラの南西と南に各1つ、ホワイトホースを描いた丘陵がある。
 
アフィントン ホワイトホース
アフィントン ホワイトホース
 
アフィントンという名(スペルは同じ)の村は英国のリンカーンシャー、シュロップシャー、オクスフォードシャーにある。
ここはオクスフォードシャーに属するが、区画整理前、長いあいだバークシャーに属していたこともあってそのままに。
 
ホワイトホース・ヒル
ホワイトホース・ヒル
 
ホワイトホースのある丘陵の反対側の光景。急勾配ということで鉄条網がはってあった。